【第2代】瑠璃明王(類利)[2-6]

 22年(3年)冬10月、国内(中国吉林省集安市)に遷都し、尉那厳城を築いた。
冬12月、王は質山の北側で田猟し、5日たっても戻らなかった。宰相の陜父が諫めて言った。
「都を移してから日が浅いため、民はまだ落ち着いておりません。政に専念して遊びを慎まなければならない時期にもかかわらず、王は馬を馳せて田猟に明け暮れ、久しくお戻りになりません。王が過ちを改めて新しい気持ちにならなければ、恐らく政治が乱れて民が離れ、先王の業績が地に落ちてしまいます」
 王は激怒し、宰相の職を解いて官園を管理させた。怒った陜父は高句麗を出て南韓(馬韓、弁韓、辰韓)の地に去った。

 23年(4年)春2月、解明を太子とし、国内で大赦を行った。

 24年(5年)秋9月、王は箕山の野原で田猟し、両脇に羽が生えている異人を得た。王は朝廷で登用し、羽氏という姓を下賜し、王女を娶らせた。

 27年(8年)春正月、太子の解明は旧都の卒本で暮らしていて、力があり勇を好んだ。黄龍国の王がこれを聞いて遣使し、強靭な弓を贈った。
 しかし、解明は使者の面前で弓を引き絞って折った挙句、「おれに力があるのではなく、この弓が強くないにすぎぬ」と言い放った。
 黄龍王は解明に弓を贈った自分を恥じた。
 この話を聞いた王は怒り、黄龍王に書簡を送って告げた。
「解明は子として不孝です。寡人のために、どうか解明を誅殺してください」

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