71年(123年)冬10月、王は沛者の穆度婁を左輔に昇格させた。また、王族の高福章を右輔に任命して、遂成とともに政事に加わるよう命じた。
72年(124年)冬10月、王は後漢に遣使して朝貢した。
冬11月、王都で地震があった。
80年(132年)秋7月、遂成は倭山で田猟し、近臣たちと宴会を開いた。貫那部の于台の弥儒、桓那部の于台の菸支留、沸流那の皀衣(10等中第9の官位)の陽神たちが、遂成に向かってこっそり言った。
「昔、慕本王が崩御されたとき、群臣は不詳の太子が即位するのを嫌い、再思王子の即位を望みました。しかし、再思様は老齢を理由に王位を息子である大王にお譲りになられました。老いた王は子弟に譲位しなければならないとお考えになったからです。いま大王はすでにご高齢ですが、譲位される意思は見られません。ですから私たちはこのことを憂慮しているのでございます」
遂成が言った。
「王位を継ぐ者が嫡男であるのは世の常道である。王はご高齢であるが、立派な嫡男がいらっしゃる。それなのに、どうして私が分不相応な望みを持つことができよう」
弥儒が言った。
「弟が賢者で兄から王位を継いだ例は古にもございます。遂成様におかれましてはお疑いなさいませぬようお願い申し上げます」
これを聞いた左輔の穆度婁は遂成に異心ありと見た。いっしょに政務を執っては連座させられるかもしれないと考え、病気を理由に出仕しなくなった。