【第9代】故国川王(男武)[9-3]

 冬10月、王が晏留に言った。
「そなたの一言がなければ、乙巴素に出会ってともに国を治めることはなかった。いま業績が上がっているのは、そちの功績によるものじゃ」
 王は晏留に大使者の官位を授けた。

 16年(194年)秋7月、霜が下り、穀物が枯れ、人々が飢えた。王は穀倉を開いて民に食料などを支給した。

 冬10月、王は質陽で田猟を行った。王は道に座って泣いている者を見つけ、どうして泣いているのか尋ねた。その者が答えて言った。
「家が貧しく、力仕事をして母を養っておりますが、今年は不作で働き口がなく、数升の食糧さえ得ることができません。そのため泣いているのでございます」
 王が言った。
「我は民の父母でありながら民をこのような目に遭わせている。これは我の罪である」
 王はすぐに衣食を与えて慰めた。そして、内外の役所に命じ、寡婦、孤児、独り者、老人、病人、貧乏人など自活できない者を探して救済させた。また、役人に命じ、毎年3月から7月まで国庫の穀物を家族数に応じて貸し与えて10月に返納させるようにした。
 以後毎年施行されたので、都の民も外地の民もみな大喜びした。

 19年(197年)、中国で大乱(黄巾の乱)が起こり、戦乱を避けて高句麗に投降してくる漢人がとても多くなった。これは後漢の献帝の建安2年の出来事である。
 夏5月、王が薨去した。故国川原に埋葬し、諡号を故国川王とした。

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