中川王(中壌王ともいう。在位:248~270年)は、諱を然弗という。東川王の子である。きりりとして爽やかな印象の容貌を持ち、知略に優れていた。東川王の17年(243年)に立太子され、22年(248年)の秋9月、先王の薨去によって即位した。
元年(248年)冬10月、掾那部の掾氏を王后とした。
11月、王弟の預物や奢句たちが、謀反を起こして誅殺された。
3年(250年)春2月、王は国相の明臨於漱に知内外兵馬事(軍務大臣)を兼務させた。
4年(251年)夏4月、王は貫那婦人を皮袋に詰めて西海(渤海)に棄てさせた。
貫那婦人は佳麗な美人で髪が九尺もあった。王は貫那婦人を愛し、小后(側室)に立てようとした。
王の寵愛が貫那婦人に独り占めされるのを恐れた王后の掾氏が王に言った。
「妾の聞くところによりますと、なんでも西方の魏が大金を出して長髪を買い集めているとか。
昔、先王(東川王)は中国に礼を以って接することがなく、そのため魏軍に攻め込まれて国外に逃げ出し、危うく国がなくなるところでした。
いま王が魏に遣使して長髪の美人を献上すれば、魏は喜んで受け取り、我が国を攻めることもないでしょう」
王は王后の意図を知り、黙して答えなかった。
貫那婦人はこの話を聞き、王后に殺されるのではないかと恐れた。
婦人は王に讒言した。
「王后様はいつも『田舎者の女がいつまでここにいるつもりなの。自分で帰らないなら必ず後悔させてやる』と妾を罵ります。
考えてみると、大王が外出されている隙を狙って、私を亡き者にしようとしているのでございます。どうしたらよろしいでしょうか?」