【第12代】中川王(然弗)[12-2]

 その後、王が箕丘で田猟して戻ると、貫那婦人が革袋を抱えて迎えに出てきた。婦人は泣きながら言った。
「王后様が私をこの中に入れて海に捨てようとされました。幸いにも大王がわずかな命をお与えくださり、妾を実家に戻していただけるのでしたら、これ以上大王の側に侍ることを望みません」
 王は問い質して夫人の嘘を知り、怒って言った。
「おまえはそんなに海に入りたいのか」
 王は夫人を海に棄てさせた。

 7年(254年)夏4月、国相の明臨於漱が逝去したので、沸流部の沛者の陰友を国相に任命した。
 秋7月、地震があった。

 8年(255年)、王子の薬盧を王太子に立て、国内に恩赦を行った。

 9年(256年)冬11月、掾那部の明臨笏覩が王女を娶り、駙馬都尉(王の婿に与えられる官位)になった。
 12月、雪が降らず、疫病が流行った。

 12年(259年)冬12月、王が杜訥の谷で田猟した。
 魏の将軍の尉遅が、大兵を率いて攻めて来た。王は精兵5000騎を選び、梁貊の谷で戦って勝利した。討ち取った首は8000余りだった。

 13年(260年)秋9月、王は卒本に行幸し、始祖廟を祭った。

 15年(262年)秋7月、王は箕丘で田猟し、白いノロを得た。
 冬11月、雷が落ち、地震が起こった。

 23年(270年)冬10月、王が薨去した。中川の野原に埋葬し、諡号を中川王とした。

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