監督:石川慶
脚本:向井康介
原作:平野啓一郎『ある男』
製作:高橋敏弘、木下直哉、田中祐介、中部嘉人、浅田靖浩、佐渡島庸平、井田寛
配給:松竹
上映日:2022年11月
上映時間:121分
興行収入:5億円
出演:妻夫木聡、安藤サクラ、窪田正孝、小籔千豊、仲野太賀、仲野太賀、真木よう子、きたろう、柄本明、でんでん
谷口里枝
《ストーリー》
芥川賞作家・平野啓一郎の同名ベストセラーを『蜜蜂と遠雷』『愚行録』の石川慶監督が映画化したヒューマンミステリー作品。戸籍交換を軸にして、さまざまな事実が明らかにされる。第46回日本アカデミー賞では、最優秀作品賞を含む同年度最多の8部門(ほか最優秀監督賞、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞、最優秀助演男優賞、最優秀助演女優賞、最優秀録音賞、最優秀編集賞)を受賞した。
里枝(安藤サクラ)は離婚後子供を連れて故郷へ帰り、実家の文具店で出会った大祐(窪田正孝)と再婚し、新たに生まれた子供と4人で幸せな暮らしを送っていた。しかし、林業を営んでいた大祐が不慮の事故で他界すると、里枝の人生が大きく狂いはじめる。長らく音信不通だった実兄が葬儀に参加したが、その兄が大祐の遺影を見て騒ぎ始めた。「これは大祐じゃないですけど。全然違う人」と。里枝は動揺し、あれこれ考えるが、夫の過去に関する客観的な事実を何も知らないことに気づく。
愛する夫が誰なのかを知りたい里枝は、以前離婚調停のときにお世話になった弁護士の城戸(妻夫木聡)に調査を依頼する。城戸は、正体不明の人物をとりあえず“X”と名付け、真実を追い始める。
自称大祐のXは、『小林誠』として誕生したが、母の離婚を機に『原誠』になる。誠の実父は死刑囚で、自分の容姿が父親に似ていることもトラウマとなり、過去を捨て去ることを決意する。誠は戸籍ブローカーの小見浦憲男(柄本明)と知り合い、荒くれヤクザの曾根崎義彦と戸籍を交換する。死刑囚の息子である過去を捨て、曾根崎義彦として新たな人生を歩み始めた。誠と入れ替わった義彦は、さらに戸籍交換を重ねていた。原誠を名乗った男は、犯罪を犯して刑務所に服役していた。曾根崎義彦の過去に納得がいかない誠は、家族から逃げていた男と戸籍を交換し、今度は『谷口大祐』として人生の再スタートをきる。誠は宮崎で里枝と知り合い、恋愛の末結婚するが、誠の人生はある日突然終了してしまう。
本作の主人公である城戸は、Xの人生を調査していくうちに、だんだん自分のことが分からなくなってくる。弁護士として妻と一人息子と幸せな毎日を送っているが、妻は浮気をし、新しいマンションを要望している。窓や鏡に映る自分を見て、本当の自分は誰なんだと自問自答する。最終シーンで、とあるバーで初めて会った男と、ウイスキーのロックを片手に談笑する。しかし、城戸が自己紹介代わりに語る内容は、誠の人生そのものだった。別れ際、相手は名刺を差し出して「鈴木と申します」と挨拶する。それに対し、「僕は‥」と戸惑いながら言いかけたところで映画は終わる。本作は平野啓一郎の同名小説を原作としていますが、尺の関係上、ところどころかいつまんで説明しているので、分かりにくい部分が多いと思います。小説の方では、さまざまな事象がその背景も含めて丁寧に描写されているので、ぜひご一読ください。
この映画の裏テーマは、『在日北朝鮮人』です。まず主人公の城戸が、在日北朝鮮人三世です。大阪刑務所の面会時に、小見浦憲男に「お前は朝鮮人だろう。見てすぐ分かった」と言われています。ということは、日本へ帰化するまで(生まれてきたときに両親が名付けた)の朝鮮名があったということです。在日韓国人と違って、北朝鮮人は周囲の縛りがキツく、当人の意思だけで帰化するのは困難です。帰化に当たって相当な困難があったことは容易に想像できます。誠が死刑囚の息子という重い十字架を背負っていたのと同様、城戸も元北朝鮮人という表沙汰にしたくない過去を抱えているわけです。それから、小見浦が“300年生きている者がいる”旨の発言をしていますが、これは北朝鮮在住の人や行方不明者になりすます(戸籍交換する)ことが常態化していることを指しています。
城戸は、Xの調査が自分探しの旅のように感じられたのでしょう。表面上は平穏無事な生活を送っていますが、“本当の自分は誰なの?”という疑念が心の中で浮かんでは消えているのです。そして、その混乱の表現として、ラストシーンがあります。自我が崩壊しかかっていることを、間接的にうまく表現していたと思います。城戸は“嘘の経歴を語る人物”になったのです。また、本作は絵画で始まり絵画で終わっているとも言えます。冒頭とラストに登場した奇妙な絵画は、ルネ・マグリットの有名な絵画『複製禁止』です。戸籍交換という裏技を通して他人の人生を複製していく人生に対するアンチテーゼとして象徴的に使われています。