【碑文】
不樂世位。天遣黃龍、來下迎王。王於忽本東𦊆□龍頁昇天。顧命世子儒留王、以道興治。大朱留王、紹承基業。
【訳文】
(しかし鄒牟王は)この世の王位を楽しまなかった。(そこで)天は黄龍を遣わし、天から降りてきて鄒牟王を迎えた。鄒牟王は忽本の東の丘で龍の頭に…して天に昇った。(臨終に際して)世継ぎの儒留王に対し、正道で政治を盛んにするよう命じた。大朱留王は父の命に従って基業を受け継いだ。
【解説】
楽しまなかったというのは、開国後の状況がよくなかったことを表している。実際、忽本の東には女真系の部族が暮らしていて、高句麗族と争っていた。
黄龍は世界の中心に鎮座する守護獣で、中国皇帝の象徴とされる。鄒牟王は天に昇り、天帝からまつりごとの提要を聞いたのだろう。
儒留王、大朱留王はいずれも第二代王にあたる瑠璃明王のこと。『三国史記高句麗本紀』によると、在位は紀元前19年から紀元後18年。
【字解】
『忽本東𦊆』に続く1字は、拓本で“黃”と読む研究者が多数を占めるが、昭和59年に石碑を検分した東北大学の教授陣を中心とした訪中団の報告によると、「『尸』があり、中は読み取れない」とのこと。
石灰を塗布する前にとられた最初期の拓本を使用して解読を進めた《水谷釈文》では、ここを“履”と読んでいる。“履”だとすると、黄龍の頭上に立った状態で昇天したことになる。