ノーベル文学賞作家として著名なカズオ・イシグロの長編第8作。第7作『忘れられた巨人』(The Buried Giant)から6年後に発表されました。原題は『Klara and the Sun』。2021年、英語、スペイン語、フランス語、ドイツ語など(日本語も)の主要言語で同時に発売されました。現在、映画化が進められているそうです。本作品の主人公は『クララ』という名のAIを搭載した『AF』(Artificial Friend)です。終始一貫、このAFが一人語りするかたちで物語は進行します。この不思議な物語を幼い主人である『ジョジー』に主観的に語らせたら、三人称で客観的な文章で表現したら、全く違う印象の小説になっていたと思います。本当の感情を持っているかどうか分からないロボットに説明させるところに、作者の明確な意図があったと推測されます。
クララが出会ったとき、ジョジーは病気がちな少女でした。虚弱体質なのには明確な理由があるのですが、その事実は後半になって初めて明かされます。物語が進むにつれて、ジョジーの病気はどんどん悪化し、最後には医者が匙を投げる状態に陥ります。この間、クララは常にクララの回復を祈り、クララの日常生活を手助けし、お日さまに奇跡を願います。お日さまがジョジーのために奇跡を起こしてくれるを、クララは確信しています。その事例を実際に見たことがあったからです。ただしそのためには、クララがしなけれならないことがあります。
カズオ・イシグロの長編作品全般に言えることですが、あらすじを知った上で読むと、楽しみがほとんどなくなってしまいます。あれこれ自分で想像しながら読み進めることに、カズオ・イシグロの小説の醍醐味があるわけで、事実の詳細をわざと省いたり、物語の核心部分をぼやかしたりして、読み手にいろいろ考えさせるようにわざと仕向けているわけです。実際、ボクは本作を続けて3回読みましたが、読むごとに心証が変わり、不思議に感じていた謎がなんとなく解けたような気がしました。作者がどうしてあのような終わらせ方をしたのか、あれこれ想像してみたのですが、さまざまな結末が成り立つ状況下で、ひとつの案として提示したのではないかと考えています。なにはともあれ、とりあえず読んでみてください。絶対に損はしない(と思います)。