『景漂』する中国の若者たち

今、中国では『景漂』(チン・ピャオ)という言葉が流行っています。『景徳鎮・漂流』の略で、具体的には“景徳鎮に移住して芸術に触れながらゆったりとした生活を送る若者たち”を意味します。

景徳鎮は、陶磁器に興味がある方ならご存知かと思いますが、江西省の東北部に位置し、古くから陶磁器の生産地として有名です。また、昔ながらの古き良き水郷『古鎮』を今に残していて、国家歴史文化名城に指定されています。元・明・清時代(13~19世紀)には、白地にコバルトで直接絵付けをし、透明釉をかけて高火度で焼成する『青花』が生産され、鮮やかな青の発色が美しい青花はヨーロッパやイスラム圏へ盛んに輸出されました。また、明清時代には『赤絵』(多色絵柄の陶磁器)もたくさん作られ、官窯(国家管理の窯)として保護されました。日本へは江戸前期に渡来し、南京焼と呼ばれて重宝されました。郊外の高嶺山から採れる高品質な磁器の原料である『高嶺土』と、焼成に必要な松の木が豊富にあったことが、景徳鎮発展の原動力と言われています。ただ、高嶺土は掘り尽くされてしまったため、厳密に言うと伝統的な景徳鎮の陶磁器は生産されていません。

ボクが最後に景徳鎮を訪れたのはもう20年くらい前のことで、YouTubeにアップされている最近の動画を観て、「かなり近代化しちゃったんだなぁ」と思いました。当時は小さな窯が何十軒もあって、お土産用や日常生活用の陶器をメインで作っていました。陶器を焼いている人たちはみな素朴で、いかにも陶器職人という感じでした。しかし、景漂した若者たちのインタビュー記事を読むと、景徳鎮は千年の伝統を色濃く漂わせる魅力的な古都であり、みんな積極的に景徳鎮へ移住しています。漂流という言葉だけ聞くとネガティブなイメージが浮かびますが、彼らは凄くポジティブで向上心が非常に高いです。都会で高給取りだった彼らが、実際にあちこち見て回って、終の棲家として選んだのが景徳鎮なのです。

日本もそうですが、陶芸家として食べていくのは大変なことです。でも彼らが面白いのは、みなが陶芸のアーティストを目指しているわけではなく、陶芸家のプロデュースをする人、ネットで陶磁器の販売をする人、美術館を運営する人、陶磁器の下敷きを専門に制作する人など、お金儲けの手段は人それぞれです。共通しているのは“伝統芸術にかかわる仕事をする”ことです。日本では、自宅暮らしで何もしない若者たち、いわゆる『寝そべり族』(躺平族)のことがよく記事になっていますが、中国には自分を見つめ直して実際に行動に起こす若者たちが存在するのです。

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