王子や家臣が朱蒙の暗殺を謀った。
柳花がこの陰謀を事前に察知し、息子の朱蒙に知らせた。
「夫餘人がそなたを亡き者にしようとしています。そなたほどの才覚があれば、どこへ行っても暮らしてゆけるはずです。夫餘に留まって辱めを受けるより、遠いところへ行って生きたほうがよいでしょう」
朱蒙は烏伊、摩離、陝父の3人を連れて出奔した。淹淲水(鴨緑江の支流)まで来たが、橋が架かっておらず渡ることができなかった。追っ手を恐れた朱蒙は川に向かって叫んだ。
「私は天帝の子で河神の子孫である。いま逃げて来たが追っ手がすぐそこまで迫っている。どうしたらよいか」
すると、魚やスッポンが浮き上がってきて川面に橋を架けた。朱蒙たちはこの橋を渡った。4人が渡り終えると橋は消え、追っ手の騎馬兵は渡河できなかった。
朱蒙たちは毛屯谷(渾江の渓谷)で3人の男に出会った。ひとりは麻の衣をまとい、ひとりは僧の衣をまとい、ひとりは藻の衣をまとっていた。
朱蒙が尋ねた。
「そなたたちはどこの者で、姓と名は何と申す」
麻衣(儒教)の人物は答えた。
「再思と申します」
僧衣(仏教)の人物は答えた。
「武骨と申します」
藻衣(道教)の人物は答えた。
「黙居と申します」
3人が姓を名乗らなかったので、再思には克氏、武骨には仲室氏、黙居には少室氏という姓を与えた。
そして、朱蒙は6人に向かって言った。
「我は天命を受け、国の元をつくろうとしている。ここで3人の賢者を得たのは、天からの賜物である」
そして、各人にそれぞれの才能にふさわしい仕事を任せた。
【始祖】東明聖王(朱蒙)[1-3]
