【第2代】瑠璃明王(類利)[2-2]

 2年(B.C.18年)秋7月、多勿侯松譲の娘を王妃とした。
 冬10月、百済の始祖である温祚王が即位した。

 3年(B.C.17年)秋7月、鶻川に離宮を造営した。
 冬10月、王妃の松氏が死去した。
 王はさらに鶻川国出身の禾姫と漢人の雉姫を娶って継室としたが、二人は王の寵愛を争って喧嘩ばかりしていた。そこで王は涼谷に東宮と西宮を造営した。
 田猟(神への捧げ物を捕るための狩猟で一種の宗教行事)のため、王は箕山へ出かけ、7日間城を留守にした。
 このとき、二人はまた言い争った。
 禾姫が言った。
「もとは漢人の召使いのくせに、あなたはどうしてそんなに非礼なの」
 これを聞いた雉姫は、恥じ恨んで実家に帰ってしまった。
 帰城してこのことを知った王は、馬を跳ばして雉姫を追いかけた。しかし、怒った雉姫は帰って来なかった。
 王が樹の下で溜息をついていると、黄鳥(朝鮮ウグイス)が空を飛び交っていた。感じ入った王は詩を詠んだ。

   すいすい飛んでいるウグイスたち
   雄と雌が相寄り添って飛んでいる
   己の孤独を想わずにはいられない
   誰とともにに帰ればよいのだろう

タイトルとURLをコピーしました