【第3代】大武神王(無恤)[3-7]

 贈り物を見た遼東郡の将軍が言った。
「城内には水源があり、すぐには落とすことができない」
そして、返礼して言った。
『我が皇帝は、私を信頼され、官軍を出撃させて大王の罪を問わせましたが、国境で数旬がたったにもかかわらず、いまだに要領を得ません。いま来旨を聞くに、その言葉は恭順で、言い訳がましいところもありません。大王のお言葉は、皇帝にそのまま報告させていただきます』
ついに漢軍は撤退した。

13年(30年)秋7月、買溝谷人の尚須が、弟の尉須や従兄弟の于刀たちといっしょに投降してきた。

15年(32年)春3月、大臣の仇都、逸苟、焚求を罷免して平民に落とした。
3人は沸流部の長だったが、卑劣なまでに強欲で、他人の妻や妾、牛馬、財貨を平気で奪い、逆らう者には鞭を使ったので、彼らは憤死した。
王はこれを聞いて3人を殺そうと思ったが、東明聖王以来の旧臣であったので、極刑に処することはせず、罷免して引退させるだけにした。
王は南部(高句麗五部のひとつ)の使者(十等中第八級の官位)である鄒㪍素を沸流部の部長に任命した。鄒㪍素は庁舎を新築し、そこで政務を執った。
仇都たち罪人を庁舎に入れなかったので、仇都等3人は外で鄒㪍素の面前に進み出て告げた。
「拙者たちともがらは小人ゆえに王法を犯してしまいました。慙愧の念に耐えません。以前の罪をお許しいただき更生の機会をお与えいただけるのであれば、死んでも恨みはございません」

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