2年(198年)春2月、丸都城(吉林省集安市)を築いた。
夏4月、国内の二罪(死刑)以下の罪人を赦した。
3年(199年)秋9月、王は質山の南で田猟した。
7年(203年)春3月、王は子がなかったので、山川の神々に祈りを捧げる儀式を行った。満月の夜、天の神が夢に現れて言った。
「汝の側室に男児を産ませるから心配する必要はない」
目覚めた王が群臣に言った。
「夢の中で天の神が諄諄と説いてこのように語ったのだが、我には側室がおらぬ。どうしたらよいか」
乙巴素が答えて言った。
「天命は計り知ることができぬもの。大王にあられましては、ただ天命を待つのみかと存じます」
秋8月、国相の乙巴素が逝去した。国の者たちはみな慟哭した。王は高優婁を国相に任命した。
12年(208年)冬11月、郊豕(祭祀用の豚)が逃げ出した。
担当官は豚を追って酒桶村に至ったが、あちこち動き回るのでなかなか捕まえることができなかった。二十歳くらいの艶やかで美しい娘が、笑いながら進み出て豚を捕まえた。その後、追って来た者は郊豕を得ることができた。
この話を聞いた王は不思議に思い、その娘を見てみたくなった。
王はお忍びで娘の家へ行き、門番に王の到来を告げさせた。家の者は王の来訪を知っても、あえて拒むことはしなかった。王は家に入ると娘を呼び、側に侍らせようとした。
娘が告げて言った。
「大王のご命令とあらば、あえて避けようとはいたしませぬ。もし幸運にも子をなしましたならば、どうかお見捨てになられませぬようお願い申し上げます」
王は頷いた。王は子の刻に目を覚まし、王宮へ戻った。