小獣林王(小解朱婁王ともいう。在位:371~384年)は、諱を丘夫という。故国原王の子である。背が高く雄大な計略を持っていた。故国原王の25年(355年)に太子となり、41年(371年)に王が薨去したため即位した。
2年(372年)夏6月、前秦の苻堅(第3代皇帝)が使者と仏僧の順道を派遣して、仏像や経典を贈ってきた。
王は返答使を派遣し、返礼として宝物を贈った。大学を創設して子弟を教育した。
3年(373年)、初めて律令を発布した。
4年(374年)、仏僧の阿道が来訪した。
5年(375年)春2月、省門寺(高句麗初の仏教寺院)を建立し、順道を置いた。また、伊弗蘭寺を建立し、阿道を置いた。これが朝鮮における仏教の始まりである。
秋7月、百済の水谷城(黄海道新渓)を攻撃した。
6年(376年)冬11月、百済の北境を侵略した。
7年(377年)冬10月、雷が落ちなかった。雪が降らなかった。疫病が流行った。
百済が3万の兵を率いて平壌城を攻撃した。
11月、南進して百済を討伐した。
前秦に使者を派遣して朝貢した。
8年(378年)、旱魃で、民が飢えて互いに食べた。
秋9月、契丹(モンゴル系の遊牧民族)が高句麗の北境に侵入し、8つの部落を陥落させた。
14年(384年)冬11月、王が薨去した。小獣林に埋葬し、諡号を小獣林王とした。