【第20代】長寿王(巨連)[20-4]

 王白駒たちは、7000あまりの兵で孫漱と高仇を急襲し、高仇を殺し孫漱を生け捕りにして帰国した。
王は、王白駒たちを殺そうと思い、宋に遣使して王白駒たちを高句麗へ送るよう求めた。
 宋の太祖は、遠国の高句麗が宋の命令に従わないことを不満に思い、王白駒たちを形式的に獄につないだだけですぐ釈放した。

 27年(439年)冬11月、北魏に朝貢した。
 冬12月、北魏に朝貢した。

 28年(440年)、新羅人が、辺境の将を襲って殺した。
 王は怒り、派兵して討伐しようとしたが、新羅王が使者を送って来て謝罪したので、出兵は中止された。

 42年(454年)秋7月、我が軍が、新羅の北辺を攻略した。

 43年(456年)、宋に朝貢した。

 50年(462年)春3月、北魏に朝貢した。

 51年(463年)、宋の世祖孝武帝(第4代皇帝)が、王を『車騎大将軍・開府儀同三司』に封じた。

 53年(465年)春2月、北魏に朝貢した。

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