【第21代】文咨明王(羅雲)[21-2]

 5年(496年)、斉の明帝が、王を『車騎将軍』に封じた。斉に朝貢した。
 秋7月、派兵して新羅の牛山城を攻撃した。新羅軍が泥河に出撃したため、我が軍は敗北した。

 6年(497年)秋8月、派兵して新羅の牛山城を攻めて陥落させた。

 7年(498年)春正月、王子の興安を皇太子とした。
 秋7月、金剛寺を建立した。
 秋8月、北魏に朝貢した。

 8年(499年)、百済の民が飢え、2000人が我が国に投降して来た。

 9年(500年)秋8月、北魏に朝貢した。

 10年(501年)春正月、北魏に朝貢した。
 冬12月、北魏に朝貢した。

【注:502年、南朝の斉が滅び、梁が興る】
【注:502年、倭国が梁に朝貢し、梁の武帝が倭国王を『鎮東大将軍』に封じる】

 11年(502年)夏4月、梁の高祖が即位し、王を『車騎大将軍』に封じた。
 秋8月、イナゴが大発生した。
 冬10月、地震が起き、家屋が倒壊し、死者が出た。
 冬11月、百済が国境を犯した。
 冬12月、北魏に朝貢した。

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