【第25代】平原王(陽成)[25-1]

 平原王(平崗上好王ともいう。在位:559~590年)は、諱を陽成(中国の史書には湯と記されている)という。陽原王の長男である。
 胆力があり乗馬や弓射に優れていた。陽原王13年(557年)に皇太子となり、陽原王15年(559年)に陽原王が薨去したため、皇太子の陽成が即位した。

 2年(560年)、北斉の粛宗孝昭帝が、王を『使持節・領東夷校尉・遼東郡公・高句麗王』に封じた。
春2月、王は卒本に行幸し、始祖廟を祭った。
 春3月、王が卒本から都へ戻った。沿道にある郡城の囚人のうち、二種類の死刑囚を除いた人々が罪を許された。

 3年(561年)夏6月、洪水にみまわれた。
 冬11月、南朝の陳に朝貢した。

 4年(562年)春2月、陳の文帝(第2代皇帝)が、詔して王に『寧東将軍』の号を加封した。

 5年(563年)夏、大旱魃になった。王は日々の食を減らし、山川の神々に降雨を祈った。

 6年(564年)、北斉に朝貢した。

 7年(565年)、北斉に朝貢した。
 春正月、王子の元を皇太子とした。

 8年(566年)冬12月、陳に朝貢した。

 13年(571年)春2月、陳に朝貢した。
 秋7月、王はバイ(サンズイに貝)江の畔で田猟し、50日後に戻った。
 秋8月、宮殿の修築が始まったが、イナゴの発生と旱魃にみまわれたため、工事は中止になった。

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