広開土王碑文を読む[10]

『渡海破~以爲臣民』の主語

 この部分の解釈は、日本と韓国(および北朝鮮)で大きく異なり、現在まで日韓の意見の対立は解消されていない。
 日本ではこの部分の主語をすべて“倭”とし、上記のような解釈をするのが一般的だが、韓国では「(高句麗が)海を渡って百済を破り、新羅を救って臣民とした」と訳すのが通説で、海を渡って百済を破ったのは高句麗であるとする。
 しかし、韓国でもっとも古い公式の歴史書である『三国史記』には、倭の半島侵攻記事が数多く掲載されていて、百済や新羅は倭国に王族を人質として差し出している。
 碑文内でも後段で、新羅の王城が倭人で満ちあふれていたことや倭軍が帯方(黄海道)に侵入したことが明記されているから、倭が百済や新羅を打ち負かしても別段不自然ではない。
 「広開土王を賞賛するための石碑に自国を貶める文字を彫るはずがない」というのが韓国側の意見だが、熟読すれば分かるとおり、碑文の趣意は「百済や新羅を打ち負かしたほどの倭に、広開土王自ら率いる高句麗軍がたびたび勝利し、助けを求めてきた新羅を救い、倭と結託した百済に鉄槌を下した」というものだ。
 つまり、広開土王の武徳を賛美するための悪役というか強敵として倭を登場させているだけなのだ。だから、主語が倭でも、碑文にとって何の問題もない。
 紀元400年前後に築造された巨大な前方後円墳の数々をみれば、当時の日本列島が朝鮮半島に派兵するだけの国力を保持していたことは容易に理解できる。
 碑文を漢文として素直に読めば、この部分の主語は倭としか考えられない。

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