【碑文】
賊不服□敢出□□。王威赫怒、渡阿利水、遣刺迫城、□□□□便□城。而殘主困逼、献□男女生口一千人細布千匹。□王自誓、從今以後、永爲奴客。太王恩赦□迷之愆、錄其後順之誠。於是□五十八城村七百。將殘王弟幷大臣十人、旋師還都。
【訳文】
賊は不服で、あえて出て…した。広開土王は激怒し、阿利水(漢江)を渡って刺客を派遣し、王城に迫り…した。百済王は困り果て、男女の奴隷千人と細布千匹を献上し、今後永遠に高句麗の奴客となることを自ら誓った。広開土王は(百済王の)蒙昧な過ちを許し、後に恭順した誠意を記録した。こうして58の城と700の村を…し、百済の王弟と大臣10人を連れ、軍を引き返させて都に帰った。
【解説】
高句麗軍が百済の王城を陥落させた記事。
『賊』は百済もしくは百済王である阿莘王(在位:392~405年)を指す。阿莘王は第17代の百済王で、『日本書紀』には“阿花王”として登場し、皇太子の腆支王(直支王)を人質として倭国に差し出している。
『阿利水』は現在の漢江。高句麗軍は漢江の北側にあった諸城を陥落させたあと、漢江を渡って王城である漢山城に迫った。具体的な場所については諸説あるが、現在の南漢山城だとする説が有力。
【字解】
『賊不服』の後の1字は“氣”と読む研究者が多い。“義”と解する人もいる。石碑の該当箇所は摩滅が激しく、直接読み取ることは不可能。
『敢出』に続く2字は、“百戰”“交戰”と釈する場合が多い。
『便』の次の文字は、クニガマエははっきり読み取れるが、中の字が非常に読みづらい。前後の関係から“國”と読まれることが多い。
『而殘主困逼献』後の1字は、“出”と読む専門家が多い。
『細布千匹』後の1字は、“歸”と読む人が多い。
『太王恩赦』後の1字は摩耗は激しいが、“先”と読む人もいる。
『於是』後の1字も摩耗は激しいが、“得”“抜”などの文字が入ると想像される。