広開土王碑文を読む[16]

国境問題

 この部分でよく議論されるのが、『國境』の2文字。
 どちらともはっきりと読めるから、字形に関する議論はない。どの国とどの国の境なのか? ここが問題とされている。
 素直に読めば倭と新羅になるが、そうすると倭が朝鮮半島に領地を持っていたことになる。倭地を否定する人は、百済と新羅の国境と考え、百済の要請で倭が攻め込んだとする。
 個人的には倭地があったと考えている。『魏志倭人伝』にも倭と韓は“接する”と記されているし、釜山市や金海市からは縄文~弥生時代の遺物がたくさん出ているから、倭の正式な行政機関はなかったにしても、倭人が多く暮らす居留地はあったと思う。そうでなければ、何年にもわたる大規模戦争を継続することなど到底不可能だ。
 それに、この時代の百済と新羅はほぼ国境を接していない。2国の間には加耶諸国があり、北辺は高句麗に圧迫されていた。国境を接するようになるのは、強国化した新羅が加耶を自国領とし、弱体化した百済が熊津(忠清南道公州市)に南遷してからのこと。

タイトルとURLをコピーしました