狩猟から農耕へ
遺跡の発掘法や遺伝子分析の進歩により、稲作の起源について従来の諸説と異なる事実が次々と明らかになった。
稲作は長江中流域で始まった。多年草の野生イネを一年草の栽培イネに改良することによって収穫量の増大をはかったのだ。
イネにはジャポニカ種とインディカ種があるが、長江中下流域で栽培されたイネはすべてジャポニカ種だったことがDNA分析で判明している。また、ジャポニカ種には温帯型と熱帯型があるが、新石器時代の栽培イネはすべて熱帯型だった。つまり、長江中下流域の人々は、野生種の中から熱帯型ジャポニカ種を選んで栽培したことになる。
湖南省の彭頭山遺跡土器から炭化イネが発見され、B.C.7000年頃には栽培イネが存在していたことが分かっている。また、プラント・オパールの分析結果からすると、B.C.8000年頃にはすでにイネ(野生種か栽培種かは不明)を食料としていたらしい。
イネの栽培化が始まった理由としてさまざまな説が提出されているが、B.C.9000年頃~B.C.8000年頃、一時的に寒冷化したヤンガー・ドリアス期があり、この時期に食料不足に陥った古代人がイネの栽培を始めたとする説がある。実際、西アジアのレバント地方ではヤンガー・ドリアス期にムギの栽培化が始まっている。
華中の稲作に対して、華北ではアワ・キビの栽培が、遅くともB.C.6000年頃には始まっている。アワは河南省・山東省一帯で、キビは河北省・陝西省・遼寧省一帯で栽培された。栽培化の過程は、イネのようにはっきりしていない。アワはエノコログサ(ネコジャラシ)が原種と予想されているが、キビに関してはまったく不明だ。
コムギやオオムギは西方からもたらされた。両城鎮りょうじょうちん遺跡など山東省内の山東龍山文化の遺跡から炭化コムギが発見されているので、新石器時代後期には華北エリアでコムギが栽培されていたことが分かる。