新石器時代の東アジア[8]

●大汶口遺跡
 山東省泰安市にある新石器時代中期を代表する遺跡で、大汶口文化の指標遺跡となっている。1959年、大汶口中後期の墓地が発掘され、彩陶・白陶・黒陶など大量の土器が出土した。1974年、1978年にも調査が行われ、大汶口文化前期と北辛文化期の墓地が見つかった。
●大渓文化
 新石器時代中期に長江中流域に栄えた文化。年代はB.C.4000年頃~B.C.3000年頃。彭頭山文化を継承し、屈家嶺文化に引き継がれた。黄河中流域の仰韶文化とも互いに影響しあった。土器は轆轤を使わない紅陶で、後期には黒陶や灰陶も焼かれている。住居は竹で編んだ土壁を持った立て壁式住居。
●富河文化
 シラムレン河およびウルジムレン河流域に栄えた新石器時代中期の文化。年代はB.C.4000年~B.C.3000年頃。紅山文化の影響を強く受けていることは間違いなく、紅山文化層の上に富河文化層が重なっている遺跡もあるが、富河文化単独層の遺跡もあり、両文化の継承関係は結論が出ていない。
●河姆渡文化
 浙江省余姚市にある河姆渡遺跡を指標とする長江下流域文化。年代はB.C.5000年頃~B.C.3300年頃。稲作農耕が行われ、高床式住居で生活していた。家畜にはブタ、スイギュウ、イヌがいた。土器は、紅陶、灰陶、黒陶で、幾何学文と動植物文が描かれている。
 また、河姆渡人には、頭髪を切る、敵の首を刈る、第一子を食べるといった特異な風習があったらしい。後の越人にこういった習慣があったことが文献に記載されているので、事実だった可能性は低くないだろう。
●河姆渡遺跡
 浙江省余姚市にある新石器時代中期の遺跡で、河姆渡文化の指標となっている。長江下流域を代表する遺跡で、稲作遺跡として有名。年代はB.C.5000年頃~B.C.3300年頃で、4期に分けられている。
 1973年と翌年の調査で、大量の稲籾が見つかり、B.C.5000年頃に稲作農耕が行われていたことがはっきりした。住居は高床式で、低湿地帯に対応したものとなっている。家畜にはブタ、スイギュウ、イヌがいた。土器は、紅陶、灰陶、黒陶で、幾何学文と動植物文が描かれている。
 河姆渡遺跡の出土物は、遺跡地にある河姆渡遺址博物館で見学することができる。

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