その童子は脱解と名乗り、ふたりの奴婢を連れ、杖をつきながら吐含山に登った。そのあと山頂で石塚を築いて7日間暮らし、下を眺めて城中で住むにふさわしい場所を探した。
そして、三日月のかたちをした霊峰を見つけた。そこは運気が上昇し続ける地勢だった。すぐにでも住もうと下山して訪れたが、そこは瓠公が住む場所だった。
瓠公は初代赫居世王の時代から仕える重臣で、瓢箪に乗って倭からやってきたと噂される氏素性のはっきりしない人物だった。
頼んでも譲ってもらえそうもないと判断した脱解は、一計を案じることにした。
家の側に砥石と炭を埋めておき、翌朝、入口の門で騒いだ。
「ここは私のご先祖様が代々住んでいた家です。はやく出て行ってください」
瓠公が否認したので裁判となり、判事が童子に問い正した。
「おまえはどのような証拠をもって自分の家だと主張するのか」
童子は答えた。
「私はもともと鍛冶屋でしたが、しばらく隣郷に行っていた間に自宅を盗られてしまったのです。どうか土を掘ってお確かめください」
言われたとおりに掘ったところ、果して砥石と炭が出てきた。そこで、瓠公から家を取り上げて童子の住居とした。
賢者だという評判を聞いた南解王は、長女を嫁がせ大臣として重用した。
南解王が崩御すると、嫡男の儒理王が即位したが、自分より脱解のほうが優れていると言い張り王位を譲ろうとした。それが叶わないとなると、次の王を脱解とするよう遺言を残して薨去した。
こうして、脱解は第四代の新羅王となった。
このとき姓を昔としたが、その理由は「昔、人の家を騙し取ったから」とも「鵲の字から取った」とも言われるが定かではない。
日本から渡来した昔氏の始祖伝説[下]
