旧石器時代後期になると、黄河流域以北に『細石刃文化』が出現する。この文化は北方のシベリア地方からもたらされたもので、核になる石を細い剥片に割って製作された。そして、最終氷期にあたる約3万年前から急激に寒冷化が進み、それに伴い細石刃文化が長江流域まで広がった。もちろん、朝鮮半島にも細石刃文化が伝わっている。
旧石器時代前期から後期にかけて、中国の文化圏は使用石器の種類でふたつに分けることができる。華南から黄河一帯までの南中国が礫石器れきせっき文化で、華北・西北・東北地域の北中国が剥片石器はくへんせっき文化だ。礫石器は原石を加工せずにそのまま使用した石器で、使用痕があるかどうかが自然石との差になる。剥片石器は原石を打ち砕いてできた破片から製作したものだ。
北京原人で有名な北京の周口店遺跡では、礫石器と剥片石器が一緒に出土していて、華北北部地域が両文化の接触地帯であったことが分かる。
旧石器時代後期になると、黄河流域以北には細石刃文化が出現する。この文化は北方のシベリアからもたらされたもので、核になる石を細い剥片に割って製作された。最終氷期にあたる約3万年前から急激に寒冷化が進み、それに伴い細石刃文化が長江流域まで広がった。
旧石器時代中期の人骨化石としては丁村人(丁村文化)や許家窯人(許家窯遺跡)が、後期のものとしては水洞溝遺跡人骨、オルドス人、長陽人、柳江人、資陽人などが知られている。史前岩絵などは旧石器人の豊かな芸術性を今に伝えている。
雲南省富源県大河郷茨托村で古い生活痕がある洞窟が発見された。2006年に調査が行われ、36000年~44000年前の旧石器時代後期~新石器時代早期の遺跡だと判明し、南西部にも華北・華中と同等レベルの文化があったことが分かった。
これが『富源大河遺跡』で、1000点あまりの遺物の中には人類の歯の化石もあった。洞窟内には敷石があり、暖炉の跡も見つかった。旧石器時代後期の中国南西部が、華北や華中と遜色ない文化レベルに達していたことが証明されることとなった。