日本史に疎い人でも『桶狭間の戦い』の概要は知っていると思います。簡単に説明すると、永禄3年5月19日(1560年6月12日)に尾張国知多郡桶狭間で、尾張の織田信長軍が今川義元軍の本陣を奇襲して今川義元を討ち取った戦です。これほど有名な合戦にもかかわらず、正確な場所がいまだに不明であることを、皆さんはご存じでしたか?まさか、そんな訳ないでしょう! そう思う人がほとんどだと思うんですが、実は本当なんです。
現在、『桶狭間古戦場』と呼ばれる場所は2ヵ所あります。 名古屋市緑区にある桶狭間古戦場公園周辺と、豊明市内にある国の史跡『桶狭間古戦場伝説地』です(市は異なりますが隣り合っている)。2カ所の地元民が互いに譲らないため、毎年2カ所で古戦場祭りが開催されています。他にも、信長はいったいどこから今川義元軍を攻めたのか、今川義元はどこに本陣を構えていたのか、攻め方は正面攻撃だったのかそれとも奇襲戦法だったのか等々、もう何十年も地元の有志が研究しているのですが、これといった証拠はまだ出ていません。各人いろいろな説を主張していますが、推論の域を出ていないのです。ボクも高校生のとき、この辺りを歩き回ったのですが、解説書を読んでいるだけではよく分かりませんでした。