126年前に制作された最初の太極旗、英国で見つかる
独立記念館(忠清南道天安市)は27日、126年前に制作された太極旗(韓国の国旗)の原型にあたる旗が英国国立公文書館に保管されているのを発見し、この旗を3月1日の3・1節(独立運動記念日)に公開する方針を明らかにした。
今回公開される最古の太極旗は、1882年に朴泳孝(パク・ヨンヒョ)が日本への航海中に制作した太極旗の原本をそのまま写したものとされる。この太極旗は1882年11月1日に日本の外務大輔(現在の外務次官にあたる)、吉田清成が駐日英国公使に送った書簡に添付されていたものだ。[朝鮮日報 2008.02.28]
1882年は明治15年、朝鮮では高宗19年。岐阜で板垣退助が襲われ、日本銀行が設立された年にあたる。
7月23日、漢城(現在のソウル特別市)の日本公使館が襲撃され、公使館の日本人や朝鮮政府の高官が殺害されるという事件が起きる。これを『壬午事変』という。日本政府は朝鮮へ軍隊を派遣して交渉にあたり、日本軍が朝鮮に駐留して公使館を警備する権利や日本人居留地の拡大を認めさせた。
日本政府は済物浦(現在の仁川港)で朝鮮政府と『済物浦条約』を結んだ。この条約の第六款は「朝鮮国は高官を派遣し国書をもって日本国に謝罪すること」となっており、修信大使・朴泳孝、修信副使・金晩植らが謝罪使として帰国する花房義質公使に同行した。
8月9日、一行は明治丸に乗って済物浦を出港した。今回発見された国旗(通称『太極旗』)の原案は、この航海中に制作されたもので、朴泳孝はイギリス領事アストンに相談しながら図案を練った。
はじめの図案は中央に龍を周囲に八卦を配するものだったが、描くのが難しいという理由で、中央を青と赤の陰陽図に周囲を八卦から四卦に修正した。船中で大中小3本の太極旗が作られたらしい。
8月14日、神戸に到着した朝鮮使節団は、宿泊先(西村屋)に出来上がったばかりの太極旗を掲げ、8月22日には太極旗を国旗にするよう本国に働きかけている。
駐日英国公使に太極旗の図案を送った吉田清成は、薩摩出身の官僚で、外務、商務、農務などの分野で活躍した。この頃、不平等条約改正のため諸外国の公使と会っていたから、朴泳孝に頼まれて渡したのかもしれない。
翌1883年3月6日、太極旗は朝鮮国の国旗として公布され、現在は大韓民国の国旗として使用されている。
ただ、1882年7月に米国で発行された国旗集『Flags of Maritime Nations』に太極旗が掲載されている。1882年5月22日に『米朝修好通商条約』が締結されているから、この交渉過程で朝鮮側が国旗として太極旗を提示したかもしれない。その場合、朝鮮の全権大使として米国と交渉していた金弘集と、清の李鴻章が目付役として派遣していた馬建忠の二人が相談して太極図を作った可能性が高い。