中国では安徽省の『人字洞遺跡』で200万~240万年前の地層から石器が発見されているが、自然石だと主張する専門家もいる。雲南省の『元謀遺跡』(人骨化石は『元謀人』と呼ばれている)などは100万年以上前とされる。
旧石器時代前期の遺跡は、『龍骨坡遺跡』『小長梁遺跡』『西侯度遺跡』『龍骨洞遺跡』『藍田遺跡』『金牛山遺跡』など全国に10カ所ほどあり、これが事実だとすると東アジアにはかなり古くから人類が定住していたことになる。
中国華南エリアの石器様式は、ヨーロッパの『アシュール文化』よりも古く、アフリカの『典型オルドワン文化』との類似点が多いという意見もある。
中国の旧石器時代は、前期・中期・後期に分けられていて、後期はさらに後期前半と後期後半に分類されている。
前期は150万年前頃~20万年前頃で、中期更新世にあたり、人字洞遺跡、元謀遺跡、龍骨坡遺跡、藍田遺跡、小長梁遺跡、西侯度遺跡などがある。
中期は20万年前頃~4万年前頃で、後期更新世にあたり、丁村遺跡などがある。
1954年、山西省襄汾県丁村で子供の歯の化石が3本発見された。1976年にはやはり子供の頭頂部化石が出土した。これらの化石を『丁村人』と呼んでいる。5万~10万年前の旧石器時代中期の人骨化石と考えられている。
丁村人をネアンデルタール人だと主張する専門家もいるが、そうすると、拡散の東限が西アジアまでだとされているネアンデルタール人の生息範囲が、東アジアにまで広がることになり、定説が覆されることになる。
その後、丁村を中心にして柴荘から史村までの南北約10㎞のエリアで旧石器時代中期の遺跡が11カ所発見された。そのため、汾河流域の旧石器時代中期の文化を『丁村文化』と呼ぶことにした。
後期は4万年前頃~B.C.11000年頃(前半期と後半期の境目はB.C.13000年頃)とされているが、明確な理由があっての区分ではないので、多分に流動的である。たとえば、中国では旧石器時代後期~新石器時代早期を中石器時代とする考え方があり、一部の一般書でも中石器時代を扱っている。