【第3代】大武神王(無恤)[3-3]

 5年(22年)春2月、王の軍は夫餘の南まで進んだ。湿地が広がっていたので、固い土地を選んで宿営した。兵士たちは馬から鞍を下ろしてゆっくり休み、警戒を怠った。
 それを知った夫餘王は、全軍に出撃命令を出し、高句麗軍の不備をついて急襲させようとした。しかし、軍馬がぬかるみに嵌まって身動きがとれなくなってしまった。
 そこで王は怪由に指令を出した。怪由は雄叫びを上げながら剣を振り上げて夫餘王に襲いかかった。そのあまりの迫力に圧倒され、誰も怪由を止められなかった。怪由は一直線に突き進み、夫餘王を捕まえたかとおもうと、剣で首を斬り落とした。
 王を失った夫餘軍は、崩れかけた軍勢をなんとか建て直し、高句麗軍を幾重にも包囲した。食料が尽きて兵士たちは飢えはじめたが、高句麗王に妙案は浮かばなかった。
 そこで、王は天の精霊に祈りを捧げた。すると一帯が濃霧に覆われ、目の前の人や物が見えない状態が7日間続いた。
 王は草人形を作らせ、それに武器を持たせ、兵営の内外に立たせて偽兵とした。王は闇夜の間道を通って撤退することに成功したが、骨句川の神馬や沸流水の大鼎を失ってしまった。
 高句麗軍はなんとか利勿林まで逃げ戻った。このとき、兵たちは飢えのために立ち上がることさえ困難だったが、獣を捕えて腹を満たすことができた。
 先に帰国した王は群臣を集め、宗廟で飲至の礼(凱旋を祝って神酒を呑む儀式)を執り行い、その場で言った。
「軽々しく夫餘を討とうとしたのは、朕の不徳の致すところであった。夫餘王の首をとったとはいえ、夫餘国はまだ滅んでいないし、多くの兵士と軍事物資を失ってしまった。これは朕の過ちである」

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