【第7代】次大王(遂成)[7-1]

 次大王(在位:146~165年)は、諱を遂成という。大祖大王の同母弟である。勇敢で威厳があったが、慈悲の心が足りなかった。大祖大王から禅譲され、76歳で即位した。

 2年(147年)春2月、王は貫那部の沛者である弥儒を左輔とした。
 春3月、王は右輔の高福章を誅殺した。
 高福章は、死ぬ間際に嘆息して言った。
「無実の罪を着せられるとは、なんと痛ましいことか。当時の私は先朝の側近。反乱を企てている賊臣を見て、どうして黙っていることができよう。先王が私の進言を受け入れてくださらなかったばかりに、このようなことになってしまった。お恨みいたしますぞ。
 いま王が即位されたのですから、政教を新たにして万民に示し、不義を以て一人の忠臣を殺すのが宜しいでしょう。私は主と道理のない時を過ごしてしまいました。さあ、速く殺してくだされ」
 そして、高福章は即刻刑に処された。
 遠くに住む民も近くに住む民もみな憤慨し、高福章の死を悼まない者はなかった。
 秋7月、左輔の穆度婁が病気を理由に辞任したので、桓那部の于台の於支留を左輔とし、大主簿(10等中第5の官位)を授けた。
 冬10月、沸流那部の陽神を中畏大夫(宰相に次ぐ要職)とし、于台の官位を授けた。これらの人物はみな王の旧臣だった。
 11月、地震があった。

 3年(148年)夏4月、王は人に命じて大祖大王の嫡男である莫勤を殺害させた。莫勤の弟の莫徳は、自分に災いが及ぶのを恐れて縊死した。

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