13年(209年)春3月、王后は王が酒桶村の娘を寵幸したことを知った。これを妬んだ王后は密かに兵を送りこんで娘を殺そうとした。
この企てを伝え聞いた娘は男服を着て逃走した。追いついた兵たちは娘を殺そうとした。そのとき娘が尋ねた。
「あなたたちはいま私を殺そうとしていますが、それは王様のご命令ですか、それとも王后様のご命令ですか?。
いま私のお腹には子供がいますが、実は王様がこの世に遺した身体なのです。私を殺すのはかまいませんが、王様の御子を殺すおつもりですか」
兵士たちはあえて殺さず、王后のところへ戻って娘の話をした。王后は憤激し、なんとしても娘を亡き者にしようとしたが、実行に至らないうちに王がこの話を聞き、再び娘の家へ行って問うた。
「そなたはいま懐妊していると聞いたが、誰の子じゃ」
娘が答えて言った。
「私は普段、兄弟とも同席いたしません。ましてや他家の男子を近づけるようなことがありましょうか。いまお腹にいる子は、大王がこの世に遺した身体でございます」
王は娘を慰め労り、祝いの品々をたくさん贈った。王宮に戻った王は王后に娘の懐妊を告げた。けっきょく、王后は娘を殺さなかった。
秋9月、酒桶村の娘が男児を産んだ。王は喜んで言った。
「この子は天神が予に授けてくださった世継ぎじゃ。神に捧げる豚に始まり、子の母を寵愛することを得た。だから、この子の名は郊彘(『彘』はブタという意味)とし、子の母は宮中に入れて側室にせよ」
側室の母が妊娠しているとき占い師が言った。
「あなたは王后を産むことになるでしょう」
側室の母は喜び、産まれた娘の名前を后女とした。
秋9月、王は丸都城に遷都した。
17年(213年)春正月、王は郊彘を王太子に立てた。
21年(217年)秋8月、平州(遼寧省一帯)の夏瑤が、千戸あまりの民を連れて投降して来た。王は受け入れ、彼らを柵城に安住させた。
冬10月、王都で雷と地震があり、ほうき星が北東に見えた。
24年(220年)夏4月、異鳥が王庭に集まった。
28年(224年)、王孫の然弗が生まれた。
31年(227年)夏5月、王が薨去した。山上の王陵に埋葬し、諡号を山上王とした。