秋8月、王は15歳以上の男女を徴発して王宮の修営に従事させた。食が乏しいところに労役まで課されたため、民が流浪してしまった。
倉助利が王を諫めた。
「天災が続いて穀物が実らず、民は生きるすべを失くしております。壮健な者は四方へ流離し、年寄りや子供は野垂れ死にしております。今は誠に、天を畏れ民を憂え、恐懼して自省する時でございます。
ところが、大王はまったくこのことを考えず、飢えに苦しむ人々に労役を強要して苦しめております。これは民の父母としての思いやりから懸け離れた行いでございます。
それに、周囲には強敵が待ち構えております。もし我が国の疲弊に乗じて襲ってきたら、民と国はどうなるのでございましょう。どうか熟考なさってください」
王が怒って言った。
「君主というのは、民が羨望の目で仰ぎ見る存在である。宮殿が壮麗でなければ、どのようにして威厳を示すのか。いま国相は寡人を誹謗することで、民から褒められようとしているのではないのか?」
倉助利が返事をした。
「大王は民をいつくしむことがないようでございます。これは仁とは言えませぬ。家臣が王を諫めなければ、忠とは言えませぬ。国相を拝命した以上、申し上げないわけにはまいりませぬ。民の賞賛を得ようなどとは、思いもよらぬところでございます」
王が笑って言った。
「国相は民百姓のために死のうというのか。死にたくなければ、これからは何も言うな」
倉助利は、王が悔い改めないことを知り、自分に害が及ぶことを恐れ、退出して群臣と謀議し、王を廃して乙弗を新王として迎えた。
王は死から逃れられないことを知って自刎した。二人の王子も殉死した。
王は烽山の野原に埋葬され、諡号を烽上王とした。
【第14代】烽上王(相夫)[14-3]
