美川王(好壌王ともいう。在位:300~331年)は、諱を乙弗(もしくは憂弗)という。西川王の王子だった古鄒加の咄固の子(西川王の孫)である。
さきの烽上王は、弟の咄固を異心ありと疑って殺害させた。乙弗は殺されるのを恐れて逃げた。
乙弗は水室村へ行き、陰牟という人の家で小作人になった。
陰牟はどこの者とも知れぬ男を酷使した。家の側の草むらや湿地で蛙が鳴くので、夜になると瓦礫や石を投げさせて鳴かないようにさせた。昼間は始終見張り、薪を採らせて片時も休ませなかった。
乙弗はその苦しみに耐えることができず、1年で陰牟の家を去った。
その後、東村人の再牟といっしょに塩を売った。
あるとき、舟に乗って鴨緑へ行き、塩を持って舟を降り、東岸の思収村にある人家に立ち寄った。
その家の老婆が塩を欲しがったので1斗だけ与えた。老婆はさらに欲しがったが、乙弗は与えなかった。
老婆はこれを恨み、自分の履物を乙弗の塩袋に潜ませた。乙弗はそれに気付かないまま、塩袋を背負って出かけた。
老婆は乙弗を追いかけて捜し出し、履き古した履き物を証拠として鴨緑の役所に訴え出た。
役所は履物の値段分だけ塩を老婆に渡すよう命じ、乙弗を笞刑(大棒で体を叩く刑で死亡することも多かった)に処して釈放した。
容姿は枯れたようになり衣服もボロボロになってしまったため、その人が西川王の孫だと思う人はひとりもいなかった。
【第15代】美川王(乙弗)[15-1]
