新石器時代の東アジア[1]

早期 B.C.11000年頃~B.C.7000年頃

 一般的には磨製石器の出現をもって新石器時代の始まりとされるが、アジアではこれが当てはまらない。中国の旧石器時代後期の遺跡で磨製石器が出土するからだ。
 そのため、アジアでは土器の出現をもって新石器時代の始まりとしてきたが、土器の出現期はどんどん遡っていて、中国では1万8000年前のものとされる土器が出土している。日本でも1万6000年前の土器が発掘されている。地質学的には完新世(約1万3000年前)から新石器時代になるので、ここでは便宜上、B.C.11000年頃を新石器時代の始まりとしておく。
 日本では縄文式土器の出現期(約1万6000年前)を新石器時代(縄文時代)の始まりとしている。朝鮮半島では約1万年前から新石器時代早期(韓国では『草創期』という)に入る。新石器時代を『櫛目文土器時代』ともいう。朝鮮半島南部で『隆起線文土器』が出土しているが、これと同系統の土器が日本でも発掘されている。
 もっとも寒冷化が進んだ2万年ほど前、海水面は現在より100メートルあまり低かったが、新石器時代に入ると最終氷期が終わり温暖化が始まった。寒冷気候に適したマンモスやオオツノシカなどの大型獣が絶滅し、人類は鹿や猪などの小型獣を狩るようになり、同時にドングリなどの堅果類を食料としはじめた。
 土器は煮沸具や保存具として利用された。食料を保存するための壺と料理を盛る鉢もエリア全体に普及した。これは人類が植物や魚貝類の採集を始めたことを表している。大型獣絶滅による食料不足が人類を採集活動に駆り立てたのだ。野生植物を採集するうちに自分たちで栽培するようになり、原始的な農耕が始まったと考えられている。
 旧石器時代には北部の『細石刃文化圏』と南部の『礫石器文化圏』に分かれていたが、新石器時代の文化圏も旧石器時代をほぼそのまま踏襲している。日本や朝鮮半島は細石刃文化圏に属するが、日本はさらに東(関東以北)の『クサビ形』と西(中部以西)の『半円錐形』に細分することができる。
 土器の底を基準にして南北の文化圏を分ける方法もある。この場合、南方が丸底深鉢形土器の『釜土器文化圏』で、北方が平底深鉢形土器の『筒形罐土器文化圏』になる。

タイトルとURLをコピーしました