新石器時代の東アジア[3]

地域文化の隆盛

 温暖化が最も進んだB.C.4500年頃には、海面が現在より2mあまり上昇していたが、B.C.3000年頃には現在の状態に落ち着いた。地球的にはB.C.6000年頃からB.C.3000年頃までの温暖期をヒプシサーマル期と呼んでいる。
 土器は、原始的な野焼きのタイプから窯で焼成する 彩陶、黒陶、紅陶、灰陶、白陶が製作されるようになり、各文化によって特徴がみられる。そのため、年代を決定する重要な指標となっている。
 彩陶は、新石器時代に中国で制作された彩文土器のこと。仰韶文化から大汶口文化、屈家嶺文化と進化しながら伝えられた。J・G・アンダーソンが1921年に仰韶遺跡で発見したのが最初。西は青海省、東は山東省、北は河北省、南は浙江省と西北・華北・華中の広範囲で出土していて、年代はB.C5000年~.B.C.2000年頃(新石器時代中期~後期)になる。彩文土器が出土する文化を『彩陶文化』と呼んでいる。
 仰韶文化半坡類型期の制作方法は、まず土をこねて手で成形する。この時代、轆轤はまだ使用されていない。表面を研磨してじゅうぶんに乾燥させたあと、赭石しゃっせき(焼くと赤色になる)や紅土(酸化鉄を多く含むものは焼くと褐色になる)で紋様を描く。紋様は多種多様で、幾何文、曲線文、葉状文、渦文などがあり、魚や蛙をモチーフにした紋様もある。鉢、壺、椀などが作られた。模様を描く前に白色泥で化粧を施したものや、赤いスリップ(泥状粘土)をかけたものもある。焼成温度は約1000℃。このくらい高温になれば、紋様は簡単には剥がれ落ちない。
 彩文土器はアジア全土で出土するため、彩陶は西方から伝播したものだとJ・G・アンダーソンは考えたが、考古学の最新データでは西から東への伝播が見られず、現在では中国で独自に生まれたものだとする説が有力である。

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