中期 B.C.5000年頃~B.C.3000年頃
この時代は、完新世の気候最温暖期『ヒプシサーマル期』にあたり、温暖化がもっとも進んだ。B.C.4500年頃には海面が現在より2メートル以上上昇していたが、B.C.3000年頃には現在の状態に落ち着いた。
新石器時代中期になるとエリアごとの文化的特徴がよりいっそう明確になる。黄河上中流域に『仰韶文化』が、黄河下流域に『北辛文化』『大汶口文化』が、長江中流域に『大渓文化』が、長江下流域に『河姆渡文化』『馬家浜文化』『崧澤文化』が、遼河流域に『新楽文化』『趙宝溝文化』が形成され、土器様式の地域性が顕著になる。
仰韶文化では、B.C.4500年頃には居住エリアを堀で囲った環濠集落が発生しており、集団合葬墓も一般化していく。中期後半には男系の血縁集団が社会の基礎単位になり、『長屋式住居』(ロングハウス)が出現した。
長江下流域の良渚文化エリアでは、稲作が進化し水田耕作が始まった。ブタなどの家畜が増え、定住化が進んだ。墳丘墓が普及し、首長墓には獣文を刻み込んだ円柱形玉器の『玉琮』、円盤形玉器の『玉壁』、平板玉器の『玉鉞』など大量の玉製祭祀具が埋葬された。
長江中流域の屈家嶺文化エリアでは、城壁を伴う城址遺跡が9つ見つかっているが、最大の石家河遺跡は南北1200メートル、東西1100メートルの規模をもつ。黄河中流域の城壁が外敵の攻撃を防ぐために造られたのに対し、長江中流域の城壁は洪水対策として築造された。そのため城壁内に田畑や丘陵がある。墓地の様子からすると、まだ明確な階層分離が見られず、首長墓の出現は後期末の石家河文化まで待たねばならない。
朝鮮半島では、櫛目文土器時代の前期に該当する。北東アジア文化の影響を受け、B.C.4000年頃に『櫛目文土器』が出現する。日本では縄文時代の中期から後期がこの時代に相当する。