●半坡遺跡
新石器時代中期の遺跡。1953年、火力発電所の建設に伴い発見された。仰韶文化半坡型の文化指標となっている。年代はB.C.5000年頃~B.C.4000年頃と考えられている。遺跡は4層からなる環濠集落で、居住区と墓地区に分かれている。農業はアワ栽培で、ブタ、ウシ、ニワトリを飼っていた。
彩陶と呼ばれる彩文土器は、仰韶文化の特徴的土器として知られている。また、 人面魚紋彩陶と呼ばれる魚と人面を組み合わせた絵柄の土器が有名だ。文字のような符号が記された土器片も発見されている。
現在、遺跡が博物館として保存されていて、発掘した状態の遺跡を見学することができる。
●大河村文化
黄河中流域に分布する新石器時代中期の文化。河南省鄭州市にある大河村遺跡を指標とする。仰韶文化を直接的に引き継いでる。大河村遺跡はB.C.4000年頃~B.C.3000年頃の遺跡。6期に分けられ、5期と6期が大河村文化になる。
●大汶口文化
山東省と江蘇省北部に広がる新石器時代文化の総称で、大汶口遺跡が文化的指標となっている。年代はB.C.4500年頃~B.C.2500年頃で、前期(B.C.4500年頃~B.C.3500年頃)、中期(B.C.3500年頃~B.C.2800年頃)、後期(B.C.2800年頃~B.C.2500年頃)に分かれている。全期を通じてアワの栽培を行っており、ブタ・イヌ・ウシ・ヒツジなどを飼っていた。門歯を抜く、後頭部を変形させる、死者にキバノロの牙を持たせるなど独特の習慣をもっていたことで知られている。
前期は紅陶を使用する母系社会で、中期は灰陶や黒陶を使用する母系から父系への移行期。後期は土器が薄く硬くなり完全な父系社会になる。
また、符号が記された土器が10点余り出土しており、単なる図表だとする意見から漢字の起源にあたる文字だとする意見まで、さまざまな主張があり、現在まで結論が出ていない。
新石器時代の東アジア[7]
