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三国史記高句麗本紀

【第11代】東川王(優位居)[11-3]

密友が王に言った。「いま追っ手が目の前に迫っております。この状勢では脱出は不可能です。愚臣が決死の覚悟で防ぎますので、その間に大王はお逃げください」 密友はしんがりの決死隊を募り、敵軍に総攻撃をかけた。王はこの間に脱出し、山や谷に散っていた...
三国史記高句麗本紀

【第11代】東川王(優位居)[11-2]

12年(238年)、魏の太傅の司馬宣王が、大軍を率いて公孫淵を討った。王は主簿や大加を派遣し、1000人の高句麗兵で魏軍を助けた。 16年(242年)、王は将軍を派遣し、遼東郡の西安平(遼寧省丹東市)を襲撃して討ち破った。 17年(243年...
三国史記高句麗本紀

【第11代】東川王(優位居)[11-1]

東川王(東襄王ともいう。在位:227~248年)は、諱を優位居、幼名を郊彘といった。山上王の長子である。母は酒桶村の人で、王宮に入って山上王の側室となった。史料がないため部族の姓はわからない。先王の17年に王太子となり、この年(227年)に...
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【第10代】山上王(延優)[10-5]

13年(209年)春3月、王后は王が酒桶村の娘を寵幸したことを知った。これを妬んだ王后は密かに兵を送りこんで娘を殺そうとした。 この企てを伝え聞いた娘は男服を着て逃走した。追いついた兵たちは娘を殺そうとした。そのとき娘が尋ねた。「あなたたち...
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【第10代】山上王(延優)[10-4]

2年(198年)春2月、丸都城(吉林省集安市)を築いた。 夏4月、国内の二罪(死刑)以下の罪人を赦した。 3年(199年)秋9月、王は質山の南で田猟した。 7年(203年)春3月、王は子がなかったので、山川の神々に祈りを捧げる儀式を行った。...
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【第10代】山上王(延優)[10-3]

王は複雑な気持ちで罽須を王宮に招いた。 王は罽須に家人の礼で会い、こう言った。「発歧は異国に兵を求めて祖国に侵攻した。その罪はあまりにも大きい。おぬしは賊軍に勝ったが、発歧を許して殺さなかった。 それでじゅうぶんなのに、あやつが自死すると慟...
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【第10代】山上王(延優)[10-2]

翌日の早朝、王后は王の遺命だと嘘をつき、群臣に命じて延優を即位させた。これを聞いた発歧はおおいに怒り、兵で王宮を包囲し、叫んで言った。「兄が死んだらすぐ下の弟が継ぐ。それが礼というものだ。それなのに、おまえは長幼を無視して王位を簒奪した。こ...
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【第10代】山上王(延優)[10-1]

山上王(在位:197~227年)は、諱を延優(もしくは位宮)という。故国川王の弟で、太祖の曾孫にあたる。王は宮(大祖大王)にそっくりだった。高句麗語で似ていることを位と言ったので名前を位宮とした。故国川王に子がなかったので、延優が王位を継承...
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【第9代】故国川王(男武)[9-3]

冬10月、王が晏留に言った。「そなたの一言がなければ、乙巴素に出会ってともに国を治めることはなかった。いま業績が上がっているのは、そちの功績によるものじゃ」 王は晏留に大使者の官位を授けた。 16年(194年)秋7月、霜が下り、穀物が枯れ、...
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【第9代】故国川王(男武)[9-2]

13年(191年)夏4月、左可慮たちは兵を集めて王都を攻めた。王は畿内の兵馬を徴集して反乱軍を平定した。ついに王令が発布された。『近頃、官位の昇級は情実によってなされ、人徳によっていない。民に甚大な影響を与え、我が王家すら動揺した。これらは...