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三国史記高句麗本紀

【第9代】故国川王(男武)[9-1]

故国川王(故国襄王ともいう。在位:179~197年)は、諱を男武(もしくは伊夷謨)という。新大王伯固の第二子である。伯固が崩御すると、家臣たちは長男の抜奇を不肖者として退け、伊夷謨を共立して王とした。 後漢の献帝の建安年間(196~220年...
三国史記高句麗本紀

【第8代】新大王(伯固)[8-3]

8年(172年)冬11月、後漢が高句麗へ大軍を送った。攻めるべきか守るべきか、王は群臣に諮問した。家臣たちは討議して進言した。「漢兵は大軍を頼みにして我が軍をなめてかかっております。もし出撃しなければ、漢軍は我が軍を臆病だと見なし、何度でも...
三国史記高句麗本紀

【第8代】新大王(伯固)[8-2]

明臨答夫による天難が起こったとき、次大王の太子である鄒安は逃げ隠れたが、嗣いだ王が大赦令を発布したと聞き、すぐに王宮の門前に行って告げて言った。「さきに国に災禍があったとき、臣は死ぬことができず、山谷に逃げてしまいましたが、いま王による大赦...
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【第8代】新大王(伯固)[8-1]

新大王(在位:165~179年)は、諱を伯固(もしくは伯句)といい、大祖大王の末弟にあたる。見目麗しく英明で、思いやりがあって憐れみ深い性格であった。 先の次大王は傍若無人だったので、臣民は親しみを感じることができなかった。 伯固は禍や乱の...
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【第7代】次大王(遂成)[7-2]

秋7月、王は平儒原で田猟した。白い狐がついて来て鳴くので、弓で射ったが中らなかった。そこで巫師に尋ねた。巫師が言った。「狐は妖獣で、吉祥の証ではありません。とくに白は面妖極まりなきことを表しています。天は自らの考えをじっくり教え聞かすことが...
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【第7代】次大王(遂成)[7-1]

次大王(在位:146~165年)は、諱を遂成という。大祖大王の同母弟である。勇敢で威厳があったが、慈悲の心が足りなかった。大祖大王から禅譲され、76歳で即位した。 2年(147年)春2月、王は貫那部の沛者である弥儒を左輔とした。 春3月、王...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-9]

秋8月、王は将軍を派遣し、遼東郡の西安平県(中国遼寧省丹東市)を襲撃して、帯方(黄海道)の県令を殺害して楽浪郡太守の妻子を奪い取った。 冬10月、右大輔の高福章が王に言った。「遂成が謀反を起こそうとしています。その前に遂成を誅殺するべきです...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-7]

94年(146年)秋7月、遂成は倭山の麓で田猟し、近臣の者たちに言った。「大王は老いているが死ぬ気配がない。私の人生はそろそろ終わろうとしている。もうこれ以上待つことはできない。おまえたちが私の計略に加わってくれるのを願うばかりである」 側...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-6]

86年(138年)春3月、遂成は質陽で田猟し、7日たっても戻らず、無節操に楽しんだ。秋7月、遂成は箕丘で田猟し、5日たってやっと帰ってきた。弟の伯固が諫めて言った。「禍福に門はなく、それは人が自ら招き寄せるものです。今あなたは王弟という立場...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-5]

71年(123年)冬10月、王は沛者の穆度婁を左輔に昇格させた。また、王族の高福章を右輔に任命して、遂成とともに政事に加わるよう命じた。 72年(124年)冬10月、王は後漢に遣使して朝貢した。 冬11月、王都で地震があった。 80年(13...