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広開土王碑文を読む

広開土王碑文を読む[13]

【碑文】賊不服□敢出□□。王威赫怒、渡阿利水、遣刺迫城、□□□□便□城。而殘主困逼、献□男女生口一千人細布千匹。□王自誓、從今以後、永爲奴客。太王恩赦□迷之愆、錄其後順之誠。於是□五十八城村七百。將殘王弟幷大臣十人、旋師還都。【訳文】 賊は...
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広開土王碑文を読む[12]

【碑文】以六年丙申、王躬率□軍、討□殘國軍。□□首攻取、壹八城、臼模盧城、各模盧城、幹弖利□、□□城、關彌城、牟盧城、彌沙城、□舎蔦城、阿旦城、古利城、□利城、雜珍城、奧利城、句牟城、古須耶羅城、頁□□、□□城、□而耶羅□□城、□□城、□□...
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広開土王碑文を読む[11]

属民と臣民の使い分け 冒頭部分で「以前から百済と新羅は高句麗の“属民”だった」と言っているが、これは高句麗が百済と新羅を自国に隷属する一地方政権と考えていたことを示唆している。百済の反乱も新羅の要請も、高句麗にとっては国内問題ということだ。...
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広開土王碑文を読む[10]

『渡海破~以爲臣民』の主語 この部分の解釈は、日本と韓国(および北朝鮮)で大きく異なり、現在まで日韓の意見の対立は解消されていない。 日本ではこの部分の主語をすべて“倭”とし、上記のような解釈をするのが一般的だが、韓国では「(高句麗が)海を...
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広開土王碑文を読む[9]

【碑文】百殘新羅舊是屬民、由來朝貢。而倭以辛卯年、來渡海、破百殘□□□羅、以爲臣民。【訳文】 百済と新羅は昔から(高句麗の)属民で、もとより朝貢していた。倭は391年に海を渡って百済を破り、新羅を…し、(両国の民を)臣民にしてしまった。【字...
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広開土王碑文を読む[8]

【碑文】永樂五年歲在乙未、王以稗麗不□□□躬率往討。過富山負山、至鹽水上、破其三部洛六七百營。牛馬羣羊不可稱數。於是旋駕、因過□平道、東來、□城、力城、北豊、五備□、遊觀土境、田獵而還。【訳文】 永楽5年乙未の年、稗麗が…しないので、広開土...
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広開土王碑文を読む[7]

【碑文】□至十七世孫、國𦊆上廣開土境平安好太王。二九登祚、號爲永樂太王。恩澤□于皇天、威武振被四海、掃除□□。庶寧其業、國富民殷、五穀豊熟。昊天不弔、卅有九宴駕棄國、以甲寅年九月廿九日乙酉、遷就山陵。於□立碑、銘記勳績、以示後世焉。其□曰【...
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広開土王碑文を読む[6]

【碑文】不樂世位。天遣黃龍、來下迎王。王於忽本東𦊆□龍頁昇天。顧命世子儒留王、以道興治。大朱留王、紹承基業。【訳文】 (しかし鄒牟王は)この世の王位を楽しまなかった。(そこで)天は黄龍を遣わし、天から降りてきて鄒牟王を迎えた。鄒牟王は忽本の...
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広開土王碑文を読む[5]

【碑文】□□□命駕、巡車南下。路由夫餘奄利大水。王臨津言曰、我是皇天之子、母河伯女郎、鄒牟王、爲我連葭浮龜。應聲即爲、連葭浮龜、然後造渡。於沸流谷忽本西城山上、而建都焉。【訳文】 (夫餘を離れた鄒牟王は)馬車を用意させ、(それに乗って一行は...
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広開土王碑文を読む[4]

【碑文】惟昔始祖鄒牟王之創基也。出自北夫餘、天帝之子、母河伯女郎。剖卵、降世、生子。有聖□□□。【訳文】 (高句麗は)むかし初代の鄒牟王が基を創った。(鄒牟王は)北夫餘の出で、天帝の子であり、母は河神の娘である。卵を割って現世に降りて誕生し...