歴史集安麻線高句麗碑文を読む[下] 私的翻訳は以下のとおり。(高句麗は)天道を授けられて自ら初代王(の資格)を承った始祖王である鄒牟王が国の基を創った。(鄒牟王は)天帝の子であり、河伯の孫であり、神霊が助け守って庇護し、開国して領土を広げた。その血脈は代々受け継がれ…。墓守た... 2025.04.26歴史
歴史集安麻線高句麗碑文を読む[上] 2012年7月29日、高句麗時代の貴重な石碑が、吉林省集安市を流れる麻線河の河床で発見され、現在は集安博物館で現物を自由に見学することができる。高句麗時代の石碑としては、『好太王碑(広開土王碑)』、『中原高句麗碑』に次ぐものとなる。 石板の... 2025.04.26歴史
歴史韓国人の名前の由来 韓国人の名前は、金秀英、張大中というように1字姓2字名が基本で、これは中国人と同じ。でも、昔からこうだったわけではない。韓国人が古来からの氏名を捨てて中国風に変えたというのが真相なのだ。 古代の韓国人の名前は、韓国の『三国史記』や日本の『日... 2025.04.26歴史
歴史漢陽・漢城・京城・首爾はみなソウル 都という意味の『ソウル』(Seoul)は、純粋韓国語のため漢字がない。語源ははっきりしないが、新羅語のソボルが転訛したという説が有力だ。 新羅から高麗の時代まで、一時期を除き『漢陽』と呼ばれたが、1392年、朝鮮初代王の李成桂が『漢城』と改... 2025.04.26歴史
三国史記高句麗本紀【第25代】平原王(陽成)[25-3] 26年(584年)春、隋に朝貢した。 夏4月、隋の高祖文帝が、我が国の使者を大興殿で供応した。 27年(585年)冬12月、陳に朝貢した。 28年(586年)、都を長安城(北朝鮮平壌)に移した。【注:589年、隋が陳を滅ぼし中国を統一する】... 2025.04.26三国史記高句麗本紀
三国史記高句麗本紀【第25代】平原王(陽成)[25-2] 15年(573年)、北斉に朝貢した。 16年(574年)春3月、陳に朝貢した。【注:577年、北斉が滅び北周が興る】 19年(577年)、北周に朝貢した。 北周の高祖武帝(初代皇帝)は、王を『開府儀同三司・大将軍・遼東郡開国公・高句麗王』に... 2025.04.26三国史記高句麗本紀
三国史記高句麗本紀【第25代】平原王(陽成)[25-1] 平原王(平崗上好王ともいう。在位:559~590年)は、諱を陽成(中国の史書には湯と記されている)という。陽原王の長男である。 胆力があり乗馬や弓射に優れていた。陽原王13年(557年)に皇太子となり、陽原王15年(559年)に陽原王が薨去... 2025.04.26三国史記高句麗本紀
三国史記高句麗本紀【第24代】陽原王(平成王) 陽原王(陽崗上好王ともいう。在位:545~559年)は、諱を平成という。安原王の長男である。生まれたときから知力にたけ、成長すると武力も人並み以上になった。安原王3年(533年)に皇太子となり、安原王15年(545年)に安原王が薨去したため... 2025.04.26三国史記高句麗本紀
三国史記高句麗本紀【第23代】安原王(宝延) 安原王(在位:531~545年)は、諱を宝延という。安臧王の弟(中国の諸史料では息子としている)である。身長が7尺5寸もあり肝も太かったため、安臧王は宝延を可愛がった。安臧王は在位13年で薨去したが、世継ぎがいなかったため宝延が即位した。 ... 2025.04.26三国史記高句麗本紀
三国史記高句麗本紀【第22代】安臧王(興安) 安臧王(在位:519~531年)は、諱を興安という。文咨明王の長男である。文咨明王7年(498年)に皇太子となり、文咨明王28年(519年)に文咨明王が薨去したため即位した。 2年(520年)春正月、梁に朝貢した。 春2月、梁の高祖は王を『... 2025.04.26三国史記高句麗本紀