三国史記高句麗本紀

三国史記高句麗本紀

【第25代】平原王(陽成)[25-3]

26年(584年)春、隋に朝貢した。 夏4月、隋の高祖文帝が、我が国の使者を大興殿で供応した。 27年(585年)冬12月、陳に朝貢した。 28年(586年)、都を長安城(北朝鮮平壌)に移した。【注:589年、隋が陳を滅ぼし中国を統一する】...
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【第25代】平原王(陽成)[25-2]

15年(573年)、北斉に朝貢した。 16年(574年)春3月、陳に朝貢した。【注:577年、北斉が滅び北周が興る】 19年(577年)、北周に朝貢した。 北周の高祖武帝(初代皇帝)は、王を『開府儀同三司・大将軍・遼東郡開国公・高句麗王』に...
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【第25代】平原王(陽成)[25-1]

平原王(平崗上好王ともいう。在位:559~590年)は、諱を陽成(中国の史書には湯と記されている)という。陽原王の長男である。 胆力があり乗馬や弓射に優れていた。陽原王13年(557年)に皇太子となり、陽原王15年(559年)に陽原王が薨去...
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【第24代】陽原王(平成王)

陽原王(陽崗上好王ともいう。在位:545~559年)は、諱を平成という。安原王の長男である。生まれたときから知力にたけ、成長すると武力も人並み以上になった。安原王3年(533年)に皇太子となり、安原王15年(545年)に安原王が薨去したため...
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【第23代】安原王(宝延)

安原王(在位:531~545年)は、諱を宝延という。安臧王の弟(中国の諸史料では息子としている)である。身長が7尺5寸もあり肝も太かったため、安臧王は宝延を可愛がった。安臧王は在位13年で薨去したが、世継ぎがいなかったため宝延が即位した。 ...
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【第22代】安臧王(興安)

安臧王(在位:519~531年)は、諱を興安という。文咨明王の長男である。文咨明王7年(498年)に皇太子となり、文咨明王28年(519年)に文咨明王が薨去したため即位した。 2年(520年)春正月、梁に朝貢した。 春2月、梁の高祖は王を『...
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【第21代】文咨明王(羅雲)[21-4]

18年(509年)夏5月、北魏に朝貢した。 19年(510年)夏閏6月、北魏に朝貢した。 冬11月、北魏に朝貢した。 21年(512年)春3月、梁に朝貢した。 夏5月、北魏に朝貢した。 秋9月、百済に侵入し、加弗城と円山城を陥落させ、男女千...
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【第21代】文咨明王(羅雲)[21-3]

12年(503年)冬11月、百済の達卒の優永が兵5000を率いて我が国の水谷城(黄海道新渓郡)を攻撃した。 13年(504年)夏4月、北魏に朝貢した。 北魏の世宗宣武帝は、東堂で我が国使者の芮悉弗を引見した。 芮悉弗が申し開きをした。「我が...
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【第21代】文咨明王(羅雲)[21-2]

5年(496年)、斉の明帝が、王を『車騎将軍』に封じた。斉に朝貢した。 秋7月、派兵して新羅の牛山城を攻撃した。新羅軍が泥河に出撃したため、我が軍は敗北した。 6年(497年)秋8月、派兵して新羅の牛山城を攻めて陥落させた。 7年(498年...
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【第21代】文咨明王(羅雲)[21-1]

文咨明王(明治好王ともいう。在位:492~519年)は、諱を羅雲という。長寿王の孫である。 父は古鄒大加の助多だが、助多が夭折したので、長寿王は羅雲を宮中で養育して大孫とした。長寿王が在位79年で薨去したので王位を継いだ。 元年(492年)...