三国史記高句麗本紀

三国史記高句麗本紀

【第7代】次大王(遂成)[7-2]

秋7月、王は平儒原で田猟した。白い狐がついて来て鳴くので、弓で射ったが中らなかった。そこで巫師に尋ねた。巫師が言った。「狐は妖獣で、吉祥の証ではありません。とくに白は面妖極まりなきことを表しています。天は自らの考えをじっくり教え聞かすことが...
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【第7代】次大王(遂成)[7-1]

次大王(在位:146~165年)は、諱を遂成という。大祖大王の同母弟である。勇敢で威厳があったが、慈悲の心が足りなかった。大祖大王から禅譲され、76歳で即位した。 2年(147年)春2月、王は貫那部の沛者である弥儒を左輔とした。 春3月、王...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-9]

秋8月、王は将軍を派遣し、遼東郡の西安平県(中国遼寧省丹東市)を襲撃して、帯方(黄海道)の県令を殺害して楽浪郡太守の妻子を奪い取った。 冬10月、右大輔の高福章が王に言った。「遂成が謀反を起こそうとしています。その前に遂成を誅殺するべきです...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-7]

94年(146年)秋7月、遂成は倭山の麓で田猟し、近臣の者たちに言った。「大王は老いているが死ぬ気配がない。私の人生はそろそろ終わろうとしている。もうこれ以上待つことはできない。おまえたちが私の計略に加わってくれるのを願うばかりである」 側...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-6]

86年(138年)春3月、遂成は質陽で田猟し、7日たっても戻らず、無節操に楽しんだ。秋7月、遂成は箕丘で田猟し、5日たってやっと帰ってきた。弟の伯固が諫めて言った。「禍福に門はなく、それは人が自ら招き寄せるものです。今あなたは王弟という立場...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-5]

71年(123年)冬10月、王は沛者の穆度婁を左輔に昇格させた。また、王族の高福章を右輔に任命して、遂成とともに政事に加わるよう命じた。 72年(124年)冬10月、王は後漢に遣使して朝貢した。 冬11月、王都で地震があった。 80年(13...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-4]

69年(121年)春、後漢の幽州(中国河北省北部から満州南部一帯)刺史(長官)の馮煥、玄莵郡太守の姚光、遼東郡太守の蔡諷たちの将兵が侵入して進撃し、穢貊の頭目を殺し、兵馬財物をことごとく獲得した。 そこで王は、弟の遂成を派遣し、2000余り...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-3]

53年(103年)春正月、夫餘国の使者が来て虎を献上した。1丈2尺もある大虎で、明るく輝かんばかりの毛並みだったが、尻尾がなかった。 王は将軍を派遣して遼東郡の6県を略奪した。後漢の遼東太守の耿虁が出兵して抵抗したため、王の軍は大敗を喫した...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-2]

16年(68年)秋8月、曷思王の孫の都頭が国ごと投降してきたので、王は都頭に于台(10等中第6の官位)の地位を与えた。 冬10月、しばしば雷が鳴った。 20年(72年)春2月、王は貫那部(高句麗五族のひとつ)出身の沛者(10等中第3の官位)...
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【第6代】大祖大王(宮)[6-1]

大祖大王(国祖王ともいう。在位:53~146年)の諱は宮で、幼名を於漱といった。古鄒加(10等中第4の官位)の再思は、第2代瑠璃明王の子であったが、その再思の子が大祖大王である。王母は夫餘人であった。 慕本王の崩御後、不肖の太子には国政を任...