広開土王碑文を読む

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広開土王碑文を読む[16]

国境問題 この部分でよく議論されるのが、『國境』の2文字。 どちらともはっきりと読めるから、字形に関する議論はない。どの国とどの国の境なのか? ここが問題とされている。 素直に読めば倭と新羅になるが、そうすると倭が朝鮮半島に領地を持っていた...
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広開土王碑文を読む[15]

【碑文】九年己亥、百殘違誓与倭和通。王巡下平穰。而新羅遣使、白王云。倭人滿其國境、潰破城池、以奴客爲民。歸王請命。太王□□稱其忠□。□遣使還告以□□。【訳文】 永楽9年、己亥の年(399年)、百済が誓いを破り、倭と和して通じた。広開土王は巡...
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広開土王碑文を読む[14]

【碑文】八年戊戌、敎遣偏師、觀帛慎土谷、因便抄得、莫□羅城、加太羅谷男女三百餘人。自此以来、朝貢論事。【訳文】 永楽8年、戊戌の年(398年)、(広開土王は)高句麗軍の一部を派遣し、粛慎と土谷を見つけたので、(戦って勝利を収め)莫…羅城と加...
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広開土王碑文を読む[13]

【碑文】賊不服□敢出□□。王威赫怒、渡阿利水、遣刺迫城、□□□□便□城。而殘主困逼、献□男女生口一千人細布千匹。□王自誓、從今以後、永爲奴客。太王恩赦□迷之愆、錄其後順之誠。於是□五十八城村七百。將殘王弟幷大臣十人、旋師還都。【訳文】 賊は...
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広開土王碑文を読む[12]

【碑文】以六年丙申、王躬率□軍、討□殘國軍。□□首攻取、壹八城、臼模盧城、各模盧城、幹弖利□、□□城、關彌城、牟盧城、彌沙城、□舎蔦城、阿旦城、古利城、□利城、雜珍城、奧利城、句牟城、古須耶羅城、頁□□、□□城、□而耶羅□□城、□□城、□□...
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広開土王碑文を読む[11]

属民と臣民の使い分け 冒頭部分で「以前から百済と新羅は高句麗の“属民”だった」と言っているが、これは高句麗が百済と新羅を自国に隷属する一地方政権と考えていたことを示唆している。百済の反乱も新羅の要請も、高句麗にとっては国内問題ということだ。...
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広開土王碑文を読む[10]

『渡海破~以爲臣民』の主語 この部分の解釈は、日本と韓国(および北朝鮮)で大きく異なり、現在まで日韓の意見の対立は解消されていない。 日本ではこの部分の主語をすべて“倭”とし、上記のような解釈をするのが一般的だが、韓国では「(高句麗が)海を...
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広開土王碑文を読む[9]

【碑文】百殘新羅舊是屬民、由來朝貢。而倭以辛卯年、來渡海、破百殘□□□羅、以爲臣民。【訳文】 百済と新羅は昔から(高句麗の)属民で、もとより朝貢していた。倭は391年に海を渡って百済を破り、新羅を…し、(両国の民を)臣民にしてしまった。【字...
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広開土王碑文を読む[8]

【碑文】永樂五年歲在乙未、王以稗麗不□□□躬率往討。過富山負山、至鹽水上、破其三部洛六七百營。牛馬羣羊不可稱數。於是旋駕、因過□平道、東來、□城、力城、北豊、五備□、遊觀土境、田獵而還。【訳文】 永楽5年乙未の年、稗麗が…しないので、広開土...
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広開土王碑文を読む[7]

【碑文】□至十七世孫、國𦊆上廣開土境平安好太王。二九登祚、號爲永樂太王。恩澤□于皇天、威武振被四海、掃除□□。庶寧其業、國富民殷、五穀豊熟。昊天不弔、卅有九宴駕棄國、以甲寅年九月廿九日乙酉、遷就山陵。於□立碑、銘記勳績、以示後世焉。其□曰【...