広開土王碑文を読む広開土王碑文を読む[6] 【碑文】不樂世位。天遣黃龍、來下迎王。王於忽本東𦊆□龍頁昇天。顧命世子儒留王、以道興治。大朱留王、紹承基業。【訳文】 (しかし鄒牟王は)この世の王位を楽しまなかった。(そこで)天は黄龍を遣わし、天から降りてきて鄒牟王を迎えた。鄒牟王は忽本の... 2025.04.26広開土王碑文を読む
広開土王碑文を読む広開土王碑文を読む[5] 【碑文】□□□命駕、巡車南下。路由夫餘奄利大水。王臨津言曰、我是皇天之子、母河伯女郎、鄒牟王、爲我連葭浮龜。應聲即爲、連葭浮龜、然後造渡。於沸流谷忽本西城山上、而建都焉。【訳文】 (夫餘を離れた鄒牟王は)馬車を用意させ、(それに乗って一行は... 2025.04.26広開土王碑文を読む
広開土王碑文を読む広開土王碑文を読む[4] 【碑文】惟昔始祖鄒牟王之創基也。出自北夫餘、天帝之子、母河伯女郎。剖卵、降世、生子。有聖□□□。【訳文】 (高句麗は)むかし初代の鄒牟王が基を創った。(鄒牟王は)北夫餘の出で、天帝の子であり、母は河神の娘である。卵を割って現世に降りて誕生し... 2025.04.26広開土王碑文を読む
広開土王碑文を読む広開土王碑文を読む[3] 【碑文】 □□□命駕、巡車南下。路由夫餘奄利大水。王臨津言曰、我是皇天之子、母河伯女郎、鄒牟王、爲我連葭浮龜。應聲即爲、連葭浮龜、然後造渡。於沸流谷忽本西城山上、而建都焉。【訳文】 (夫餘を離れた鄒牟王は)馬車を用意させ、(それに乗って一行... 2025.04.26広開土王碑文を読む
広開土王碑文を読む広開土王碑文を読む[2] 【碑文】惟昔始祖鄒牟王之創基也。出自北夫餘、天帝之子、母河伯女郎。剖卵、降世、生子。有聖□□□。【訳文】 (高句麗は)むかし初代の鄒牟王が基を創った。(鄒牟王は)北夫餘の出で、天帝の子であり、母は河神の娘である。卵を割って現世に降りて誕生し... 2025.04.26広開土王碑文を読む
広開土王碑文を読む広開土王碑文を読む[1] 広開土王碑は、好太王碑とも呼ばれている石碑。414年に高句麗の長寿王(394~491年)が先王であり父でもある広開土王(375~412年)のために立てた。 石碑の存在は昔から知られていたが、碑文の内容が判明したのは1882年のこと。知県の陳... 2025.04.26広開土王碑文を読む