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新石器時代の東アジア[7]

●半坡遺跡 新石器時代中期の遺跡。1953年、火力発電所の建設に伴い発見された。仰韶文化半坡型の文化指標となっている。年代はB.C.5000年頃~B.C.4000年頃と考えられている。遺跡は4層からなる環濠集落で、居住区と墓地区に分かれてい...
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新石器時代の東アジア[6]

中期 B.C.5000年頃~B.C.3000年頃 この時代は、完新世の気候最温暖期『ヒプシサーマル期』にあたり、温暖化がもっとも進んだ。B.C.4500年頃には海面が現在より2メートル以上上昇していたが、B.C.3000年頃には現在の状態に...
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新石器時代の東アジア[5]

前期 B.C.7000年頃~B.C.5000年頃 新石器時代前期に入ると各地で独自の文化が芽生え始める。 中国では土器様式を時代別地域別に分類して、各グループを『○○文化』と名づけている。黄河上流域には『老官台文化』が、黄河中流域には『裴李...
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新石器時代の東アジア[4]

黒陶は、新石器時代後期の山東龍山文化期に出現した紋様のない黒灰色の土器。紅陶、灰陶に次いで登場した。白色粘土を還元炎で焼成するため、土器の表面に炭素が付着して黒くなる。焼成後、土器の仰面に黒鉛を塗ったり、素焼きしたものを燻して黒くした土器も...
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新石器時代の東アジア[3]

地域文化の隆盛 温暖化が最も進んだB.C.4500年頃には、海面が現在より2mあまり上昇していたが、B.C.3000年頃には現在の状態に落ち着いた。地球的にはB.C.6000年頃からB.C.3000年頃までの温暖期をヒプシサーマル期と呼んで...
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新石器時代の東アジア[2]

狩猟から農耕へ 遺跡の発掘法や遺伝子分析の進歩により、稲作の起源について従来の諸説と異なる事実が次々と明らかになった。 稲作は長江中流域で始まった。多年草の野生イネを一年草の栽培イネに改良することによって収穫量の増大をはかったのだ。 イネに...
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新石器時代の東アジア[1]

早期 B.C.11000年頃~B.C.7000年頃 一般的には磨製石器の出現をもって新石器時代の始まりとされるが、アジアではこれが当てはまらない。中国の旧石器時代後期の遺跡で磨製石器が出土するからだ。 そのため、アジアでは土器の出現をもって...
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日本から渡来した昔氏の始祖伝説[下]

その童子は脱解と名乗り、ふたりの奴婢を連れ、杖をつきながら吐含山に登った。そのあと山頂で石塚を築いて7日間暮らし、下を眺めて城中で住むにふさわしい場所を探した。 そして、三日月のかたちをした霊峰を見つけた。そこは運気が上昇し続ける地勢だった...
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日本から渡来した昔氏の始祖伝説[上]

『三国遺事』では、日本と深く関わる昔氏の始祖伝説を、次のように語っている。 第二代南解王の時代、駕洛国の領海に船があった。 首露王と臣民は大騒ぎで迎えたが、係留しようとすると船は走り去り、鶏林の東の下西知村阿珍浦に入港した。 浜辺に阿珍義先...
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『三国遺事』にみえる新羅の建国神話

『三国遺事』(13世紀末に高麗の僧・一然が記した私撰の史書)では、新羅の始祖伝説が次のように語られている。 西漢(前漢)地節元年(紀元前69年)3月1日、いまの六部(閼川の楊山村、突山の高墟村、觜山の珍支村、茂山の大樹村、金山の加利村、明活...