歴史

歴史

斯盧から新羅へ

新羅は、朝鮮半島を初めて統一した王朝で、935年に滅ぶまで600年近く存続した。現在の朝鮮民族は、新羅によって形成されたと言っても過言ではない。 古代新羅があった韓国東部(現在の慶尚北道南部と慶尚南道北部)は、歴代中国王朝から『辰韓』と呼ば...
歴史

百済の建国年

百済の建国年は、よくわからない。 『三国史記』百済本紀には、紀元前年、高句麗を興した東明聖王(朱蒙、鄒牟)の子である温祚王が、漢城(京畿道)に移って百済を建国したと記されている。 しかし、中国の史書には4世紀に到るまで『馬韓』としか記されて...
歴史

百済揺籃の地

百済の地は、もともと馬韓といった。 四世紀中頃までの朝鮮半島は、西から、馬韓、弁韓(弁辰)、辰韓に分かれていた。 そのうち馬韓は、おおよそ現在の京畿道、忠清北道、忠清南道、全羅北道、全羅南道にあたる。総人口は十万余戸。五十数ヵ国に別れ、各国...
歴史

高句麗建国時の状況

高句麗族は、渾江流域の五女山(中国遼寧省桓仁)に卒本城を築いて都としていた。五女山は天然の要害で、遠くから眺めると、岩で作ったシルクハットのように見える。上部が平らで、築城しやすく、防衛にも適していた。 彼らが五女山に住みはじめた時期はよく...
歴史

集安麻線高句麗碑文を読む[下]

私的翻訳は以下のとおり。(高句麗は)天道を授けられて自ら初代王(の資格)を承った始祖王である鄒牟王が国の基を創った。(鄒牟王は)天帝の子であり、河伯の孫であり、神霊が助け守って庇護し、開国して領土を広げた。その血脈は代々受け継がれ…。墓守た...
歴史

集安麻線高句麗碑文を読む[上]

2012年7月29日、高句麗時代の貴重な石碑が、吉林省集安市を流れる麻線河の河床で発見され、現在は集安博物館で現物を自由に見学することができる。高句麗時代の石碑としては、『好太王碑(広開土王碑)』、『中原高句麗碑』に次ぐものとなる。 石板の...
歴史

韓国人の名前の由来

韓国人の名前は、金秀英、張大中というように1字姓2字名が基本で、これは中国人と同じ。でも、昔からこうだったわけではない。韓国人が古来からの氏名を捨てて中国風に変えたというのが真相なのだ。 古代の韓国人の名前は、韓国の『三国史記』や日本の『日...
歴史

漢陽・漢城・京城・首爾はみなソウル

都という意味の『ソウル』(Seoul)は、純粋韓国語のため漢字がない。語源ははっきりしないが、新羅語のソボルが転訛したという説が有力だ。 新羅から高麗の時代まで、一時期を除き『漢陽』と呼ばれたが、1392年、朝鮮初代王の李成桂が『漢城』と改...
歴史

旧石器時代の東アジア[3]

旧石器時代後期になると、黄河流域以北に『細石刃文化』が出現する。この文化は北方のシベリア地方からもたらされたもので、核になる石を細い剥片に割って製作された。そして、最終氷期にあたる約3万年前から急激に寒冷化が進み、それに伴い細石刃文化が長江...
歴史

旧石器時代の東アジア[2]

日本の旧石器時代は『無土器時代』『先土器時代』などと呼ばれている。韓国では新石器時代と合わせて『先史時代』という。 朝鮮半島の前期旧石器時代を代表する遺跡は、『黒隅里洞窟』と『全谷里遺跡』。北朝鮮平安南道祥原にある『黒隅里洞窟』では、29種...