歴史日本から渡来した昔氏の始祖伝説[下] その童子は脱解と名乗り、ふたりの奴婢を連れ、杖をつきながら吐含山に登った。そのあと山頂で石塚を築いて7日間暮らし、下を眺めて城中で住むにふさわしい場所を探した。 そして、三日月のかたちをした霊峰を見つけた。そこは運気が上昇し続ける地勢だった... 2025.04.26歴史
歴史日本から渡来した昔氏の始祖伝説[上] 『三国遺事』では、日本と深く関わる昔氏の始祖伝説を、次のように語っている。 第二代南解王の時代、駕洛国の領海に船があった。 首露王と臣民は大騒ぎで迎えたが、係留しようとすると船は走り去り、鶏林の東の下西知村阿珍浦に入港した。 浜辺に阿珍義先... 2025.04.26歴史
歴史『三国遺事』にみえる新羅の建国神話 『三国遺事』(13世紀末に高麗の僧・一然が記した私撰の史書)では、新羅の始祖伝説が次のように語られている。 西漢(前漢)地節元年(紀元前69年)3月1日、いまの六部(閼川の楊山村、突山の高墟村、觜山の珍支村、茂山の大樹村、金山の加利村、明活... 2025.04.26歴史
歴史斯盧から新羅へ 新羅は、朝鮮半島を初めて統一した王朝で、935年に滅ぶまで600年近く存続した。現在の朝鮮民族は、新羅によって形成されたと言っても過言ではない。 古代新羅があった韓国東部(現在の慶尚北道南部と慶尚南道北部)は、歴代中国王朝から『辰韓』と呼ば... 2025.04.26歴史
歴史百済の建国年 百済の建国年は、よくわからない。 『三国史記』百済本紀には、紀元前年、高句麗を興した東明聖王(朱蒙、鄒牟)の子である温祚王が、漢城(京畿道)に移って百済を建国したと記されている。 しかし、中国の史書には4世紀に到るまで『馬韓』としか記されて... 2025.04.26歴史
歴史百済揺籃の地 百済の地は、もともと馬韓といった。 四世紀中頃までの朝鮮半島は、西から、馬韓、弁韓(弁辰)、辰韓に分かれていた。 そのうち馬韓は、おおよそ現在の京畿道、忠清北道、忠清南道、全羅北道、全羅南道にあたる。総人口は十万余戸。五十数ヵ国に別れ、各国... 2025.04.26歴史
歴史高句麗建国時の状況 高句麗族は、渾江流域の五女山(中国遼寧省桓仁)に卒本城を築いて都としていた。五女山は天然の要害で、遠くから眺めると、岩で作ったシルクハットのように見える。上部が平らで、築城しやすく、防衛にも適していた。 彼らが五女山に住みはじめた時期はよく... 2025.04.26歴史
歴史集安麻線高句麗碑文を読む[下] 私的翻訳は以下のとおり。(高句麗は)天道を授けられて自ら初代王(の資格)を承った始祖王である鄒牟王が国の基を創った。(鄒牟王は)天帝の子であり、河伯の孫であり、神霊が助け守って庇護し、開国して領土を広げた。その血脈は代々受け継がれ…。墓守た... 2025.04.26歴史
歴史集安麻線高句麗碑文を読む[上] 2012年7月29日、高句麗時代の貴重な石碑が、吉林省集安市を流れる麻線河の河床で発見され、現在は集安博物館で現物を自由に見学することができる。高句麗時代の石碑としては、『好太王碑(広開土王碑)』、『中原高句麗碑』に次ぐものとなる。 石板の... 2025.04.26歴史
歴史韓国人の名前の由来 韓国人の名前は、金秀英、張大中というように1字姓2字名が基本で、これは中国人と同じ。でも、昔からこうだったわけではない。韓国人が古来からの氏名を捨てて中国風に変えたというのが真相なのだ。 古代の韓国人の名前は、韓国の『三国史記』や日本の『日... 2025.04.26歴史