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殷王朝の真実[3]

元のモンゴル族や清の女真族とは異なり、殷は征服地の先進文化を受け入れるだけではなく独自の文化を保持発展させた。特に祭祀儀礼が発達し、統治システムにも組み込まれ、国家を支える重要な役割を果たした。 殷墟遺跡では祭祀犠牲坑が大量に発見されていて...
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殷王朝の真実[2]

殷が強力な統治システムを築いていたことは、墓制から理解できる。副葬品種類が被葬者の階級により明確に区分されていて、青銅製の『鼎』は上位者の墓からしか出土しない。殷朝廷から青銅の鼎を下賜された者だけが、地方の首長として権力を振るうことができた...
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殷王朝の真実[1]

『殷』は実在が文字資料で証明されている中国最古の王朝である。日本では『殷』と呼ばれているが、これは『史記殷本紀』に由来する。甲骨文や金文には『商』と記されているし、殷は商王朝の最後の都に過ぎないので、中国では商(もしくは『殷商』)と呼んでい...
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夏王朝は実在したか[4]

二里頭文化一期時代、文化の中心は汝河流域にあった。それが二里頭文化二期時代に二里頭遺跡に移り、同時に城壁や宮殿が築造されているから、二里頭文化二期時代に二里頭遺跡が夏の首都となった可能性が高い。 また、河南龍山文化時期には自然の地形に従って...
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夏王朝は実在したか[3]

二里頭遺跡の二里頭文化は、二里頭遺跡の土器編年をもとにして4期に分類されているが、その二期層(二里頭文化ニ期)で宮殿が発見され、三期層(二里頭文化三期)では宮殿のほかに城壁や道路が発掘され祭祀用の青銅器も出土した。 以上のような発掘成果から...
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夏王朝は実在したか[2]

日本や欧米で「文字資料で証明されないかぎり夏王朝の存在を認めるわけにはいかない」と主張している研究者が少なくないが、漢字の使用は殷代後期までしか遡ることができない。そこで考古学史料の登場となる。 近年の中原地域(山東省・河南省・山西省・陝西...
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夏王朝は実在したか[1]

中国の文字資料で最古の王朝とされているのが『夏』だ。『太平御覧』が引用する『竹書紀年』に「夏の禹から桀までは14世17代471年だった」と記されているのを根拠として、中国では夏の建国を紀元前2070年前後だとする。また、夏という名は商王朝に...
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新石器時代の東アジア[10]

歴史時代 B.C.2000年頃~中国ではB.C.2000年頃から歴史時代に入る。紀元前20世紀頃、黄河、長江、漢水などの大河流域に城郭をもつ小国家が出現する。夏王朝が始まったのもこの頃とされる。殷からは文献と出土資料でその存在を証明でき、殷...
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新石器時代の東アジア[9]

新石器時代後期 B.C.3000年頃~B.C.2000年頃は、新石器時代後期に区分される。紅銅や青銅で造った金属器が出現するのもこの時期で、西北地方から東へ伝播している。 華北や華中では、土塁で集落を囲った城址が建設された。山西省陶寺遺跡の...
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新石器時代の東アジア[8]

●大汶口遺跡 山東省泰安市にある新石器時代中期を代表する遺跡で、大汶口文化の指標遺跡となっている。1959年、大汶口中後期の墓地が発掘され、彩陶・白陶・黒陶など大量の土器が出土した。1974年、1978年にも調査が行われ、大汶口文化前期と北...